正義と悪のせめぎ合い〜朝ドラあんぱんを見始めて〜

正義と悪のせめぎ合い〜朝ドラあんぱんを見始めて〜 Theodicy
この記事は約4分で読めます。

朝の連続テレビ小説『あんぱん』が始まりました。まだ2話しか見ていませんが、これからが楽しみです。

アンパンマンがイエス・キリストをモチーフにしていると言われたりすることもありますが、定かなことは分かりません。ただ、通じている部分、触れている部分はあるのではないかと思います。キリスト教にまつわる場面がドラマで描かれるのか、興味深いところです。

アンパンマンは、いわゆる「勧善懲悪」の体を成していると思いますが、一風変わっているのは、自分の身を削って人助けをしていることです(自分を分け与える)。ただ強いヒーローではないのです。さらには、一度倒したバイキンマンは、次の回で再び現れます。ですので、「完全に」倒したわけではないということです。

「正義」と「悪」というのは、二者択一的なものとして、つまり二元論的に考えられることが多いのですが、実際の生活においては、明確な線引きはできないように思います。何が正しくて、何が間違っているのか、正しく判断しようとしても、その状況次第で、その選択は変わることがあります。あるいは、正義と悪は自分の外にあるのではなく、自分の内側にあるとも言えるかもしれません。「人の数だけ正義がある」とはよく言ったもので、まさに皆がそれぞれの正義を持っています。

そのように考えるなら、正義を掲げている人であっても、その人のうちには、正義と悪が混在していることになります。それはすなわち、「自分のうちに悪は全くない」と断言できる人は、一人もいないということでもあります。アンパンマンというのも、結局はバイキンマンとの戦いを通して、視聴者に、正義と悪のせめぎ合いを暗に示しているように思います(「あん」だけに)。

それはさておき、聖書の中にも「サタン」と呼ばれるものが登場します。興味深いのは、この「サタン」(悪魔と言われたりもしますが)というヘブル語には「告発者(Accuser)」という意味合いもあるということです。「サタン」と聞くと、「悪」そのものという印象を受けるかもしれませんが、「告発者」という言葉からはより公平な印象を受けるのではないでしょうか。

特にそのことを表しているのが『ヨブ記』です。『ヨブ記』において、サタンの役割は、ヨブを試すことでした。ヨブが本当に正しい人なのか、何か理由があって神を恐れる者なのではないのか。例えば、それによって報酬をもらうためなど。そのようにヨブを試すために、サタンは神の許可を取り付け、ヨブからあらゆるものを奪ったのです。この時、サタンは単に「悪」の存在ではありません。むしろ、悪を告発する存在として機能しています。もちろん、聖書全体で「サタン」について見るのと、『ヨブ記』だけで見るのとでは、そこに多少の違いは生じるわけですが、それでもサタンが「告発者」として機能しているのは非常に興味深いものと思われます。

それでは、ここでサタンの役割とは何なのでしょうか。サタンの「告発」によって、ヨブはその罪が明らかにされることになります。そのように考えますと、サタンはここで罪を示す者として機能していると言えます。そして、それはヨブにとっては、最終的に神の前に悔い改める絶好の機会ともなりました。

このような正義と悪のせめぎ合いは、ある意味、大きな実りをもたらすように思います。私たちは多くの場合、正義と悪を明確に線引きしようとしますし、できるものと思っています。しかし、実際は複雑に絡み合っているというのが現実なのではないでしょうか。そのように考えるなら、正義と悪でこの世の人々を区別しようとするのではなく、まさに正義と悪が内在している自分自身の姿をよく観察することが大切であるように思います。

誰が正義で誰が悪なのか。そのような視点でこの世を見る風潮が、昨今非常に高まっているように思います。もちろん、そのような視点は社会がより良くなっていくためには必要であることも確かだと思いますが、その前に、自分自身はどうなのか、ということを考える必要もあるように思います。そうしなければ、この社会は際限なく人を裁く社会となり、生きづらい社会となってしまいます。

アンパンマンとバイキンマンの戦いを見る時に、アンパンマンに自分を重ねて見ることが多いように思いますが(もっとも、そのことが教育的意味を持っているとも言えるのかもしれませんが)、自分のうちにアンパンマンとバイキンマンが同居していると考えるのも、一つの見方であるように思います。

正義と悪は、外側にではなく、自分の内側にあります。そして、何が正義であるのかを浮き彫りにするのは悪です。もちろん、そのような「悪(の心)」が自分のうちからなくなることを誰もが期待していますが、しかし、それはそう容易いことではありません。生きるということは、まさにヨブがそうであったように、試され、悔い改め、成長していくことの繰り返しであるように思われます。だからこそ、「悪」から目を背けたり、ないものとしたり、自分は関係ないと断罪するのではなく、自分自身のうちにある正義と悪から目を逸らさずに、注視し続けていくことが必要であるように思います。そのようにして、安易な「正義」に飛びつくのではなく、深い意味での正義に出会うことができれば素晴らしいのではないでしょうか。それはまさに、「アンパンマン」が子供向けのアニメであると同時に、大人にも訴えかける深いメッセージがあることと同じであるように思います。

タイトルとURLをコピーしました