詩篇74篇の背景には、イスラエルの神殿が破壊され、バビロンへと捕囚された悲劇があると考えられています。そのような状況の中で、詩人は切実に神に訴えています。中でも、この詩の特徴は、最初から最後まで、神への問いかけ、訴えが続いているということです。多くの詩編のパターンでは、嘆きで始まる詩篇でも、最後には神への信頼の告白、確信に満ちた言葉で閉じられることが多いのですが、詩編74篇は最後まで絶望の中、神への訴えが続きます。
しかし、そのような中に、微かな希望が見られます。それが12-17節です。
12神はいにしえからわたしの王であって、救を世の中に行われた。
13あなたはみ力をもって海をわかち、水の上の龍の頭を砕かれた。
14あなたはレビヤタンの頭をくだき、これを野の獣に与えてえじきとされた。
15あなたは泉と流れとを開き、絶えず流れるもろもろの川をからされた。
16昼はあなたのもの、夜もまたあなたのもの。あなたは光と太陽とを設けられた。
17あなたは地のもろもろの境を定め、夏と冬とを造られた。
詩編74:12-17 (口語訳聖書)
詩人は神殿が破壊され、希望を見出すことのできない絶望の中で思い出していること、それは「創造」の出来事です。
まず、注目されるのは「水の上の龍(תַנִּינִ֗ים עַל־הַמָּֽיִם)」と「レビヤタン(לִוְיָתָ֑ן)」についての言及です。両者について共通していることは、どちらも海にまつわる巨獣(怪物)であるということです。聖書中において、「海」は「混沌」を象徴的に示します。したがって、詩人はここで、そのようなものでさえも支配される神を思い起こしているということです。
そして、この混沌というのは、まさに創造の出来事を暗示するものです。神が混沌とした世界に秩序をもたらしたのが創造のみわざです。その点を念頭に置きながら読み進めると、続く箇所にも、創世記の冒頭を想起させるフレーズが散りばめられていることがわかります。
ではなぜ、詩人は神の創造のみわざを思い起こしているのでしょうか。それは、詩人が直面している状況が、まさに「混沌」だからです。換言するなら、それは「暗闇」です。拠り所としていた神殿が破壊され、神に見捨てられてしまったように感じる光景が目の前には広がっていたのです。そのような中にあって、神はまるでポケットに手を突っ込んで、突っ立っているように、詩人には思えたのです(11節)。
そのような混沌とした状況、暗闇の中で、詩人は創造主なる神を思い起こしています。なぜなら、神は混沌に秩序を、暗闇に光をお与えになるお方だからです。
この12-17節の部分は、前後の内容とあまりにもかけ離れているため、挿入されたと指摘されることもありますが、詩人が絶望の中でこのように告白することは、特別おかしなことではないと思われます。苦しみの中にあって、主が何をしてくださったのかを思い起こすことは神への信頼を新たにする上で意味のあることです。また、この所はエジプト脱出のことが念頭に置かれているとも解釈されることがありますが、個人的には創造の出来事にまで遡った方が、筋が通っているように思われます。混沌に秩序を与え、暗闇に光を与えるお方であることを思い起こすことが、詩人にとっての拠り所となるからです。