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「実践神学」の記事一覧

日本の宣教はなぜ実を結ばなかったのか(2)
前回は、日本の宣教の停滞を分析した『日本ではなぜ福音宣教が実を結ばなかったか』(いのちのことば社)を…
日本の宣教はなぜ実を結ばなかったのか(1)
日本におけるキリスト教の宣教は、150年を超える歴史を持ちながら、クリスチャンの人口比はおおよそ1%にと…
萎びた苗と2つの根:渇きの「活着」と充足の「結実」
いよいよ本格的な農作業のシーズンが始まり、先日、畑にさつまいもの苗を定植してきました。 用意した畝に…
土を整え、花粉を集める
今年から借りた畑で、本格的な農作業のシーズンに入りました。といっても、初級者らしく、はじめは無理の…
裁き合う世界の中で、「愛の限界」を知る——ボンヘッファー『キリストに従う』から
裁くことと批判すること 現代は、かつてないほど「裁き合い」が横行している時代だと感じることがあります…
神学は長い腕で、愛は短い腕で
ここ最近のAIの進化は目覚ましいものがあります。ある科学者は、AIによって『10億年分の研究時間が1年に圧…
「お金」の向こう側にいる隣人―『きみのお金は誰のもの』と聖書的経済観
1. お金という「レンズ」を再考する 先日、田内学さんの『きみのお金は誰のもの』を読みました。この本が…
牧師に「社会」経験は必要か?
牧師に対して抱く期待や理解は人それぞれだと思いますが、牧師はある程度の「社会」経験を積む必要がある…
説教における「主語」の考察
日本語では「主語」があまり意識されることはない、と言うのは言い過ぎでしょうか。 日本語の文法では、無…