いよいよ本格的な農作業のシーズンが始まり、先日、畑にさつまいもの苗を定植してきました。

用意した畝に苗を植え付けていく中で、農業という営みの奥深さ、とりわけ、植える際の苗の状態について、非常に興味深い2つの異なるアプローチが存在することを知りました。

1つ目は、長年の経験則に裏打ちされた「萎びた苗を植える」というアプローチです。ピンと張った苗をそのまま植えるのではなく、あえて少し干からびさせてから土に植える手法です。植物に意図的に水分ストレスを与えることで、土に下ろされた瞬間に「早く水を吸わなければ」という働きを促し、土への活着(根付き)を早めるという合理的な理由があります。今回の定植では、たまたま購入した苗が萎びていたので、1つの畝にはこの伝統的で理にかなった手法で苗を植え付けました。

一方で、近年注目されているもう1つのアプローチがあります。それは、萎びた苗をあらかじめ水に浸け、しっかりと水分を補給して「元気に回復させてから植える」という手法です。

この2つのアプローチの違いを深掘りしていくと、さつまいもの成長を左右する「二種類の根」があることを知りました。それは、養分や水分を吸い上げるための「吸収根」と、やがて肥大して芋そのものになる「不定根」です。

植物生理学的な視点から見ると、極度の水分不足(環境ストレス)状態にある萎びた苗は、生存を最優先し、水分を急いで取り込むための「吸収根」を優先して伸ばす傾向があります。しかしこの状態が長く続くと、将来芋となる「不定根」の形成が後回しになってしまいます。結果として、土中の窒素を過剰に吸収し続け、地上部の葉や茎だけが異常に生育する「蔓(つる)ボケ」という状態に陥るリスクが高まるというメカニズムです。これを防ぎ、不定根の健全な発生を促すために、あらかじめ植物の環境ストレスを取り除いてから定植する、というのが2つ目のアプローチの論理です。

この2つのアプローチと根の発生メカニズムについて調べていたとき、ふと、これは私たちの精神的、あるいは霊的な営みにも通じるものがあるのではないかと思わされました。

長年支持されてきた「萎びた苗を植える」という手法が教えてくれるのは、渇きがもたらす根の強さです。 植物が極度の水分不足の中で自己保存のために必死に「吸収根」を伸ばすように、私たちもまた、人生の試練や内面的な枯渇の中に置かれたとき、命の源に向かって必死に根を伸ばそうとします。自分の力ではどうにもならないという「欠乏」の自覚こそが、私たちを深い土壌へと向かわせ、強靭な信仰や思索の土台(活着)を形成する原動力になるという側面は確かに存在します。

しかし一方で、近年注目される「水を補給してから植える」というアプローチは、豊かな実を結ぶためのもう1つの条件を教えてくれます。

いつまでも枯渇状態のまま、知識や承認など外側からの「吸収」ばかりにエネルギーを注ぎ続けていると、植物が「蔓ボケ」を起こすように、私たちの内面もまた、葉ばかりを茂らせて肝心の実(不定根)を育てることを忘れてしまうリスクがあります。

深く根を下ろした後に私たちが向かうべきは、絶えず何かを吸収し続けなければ生き残れないという焦燥感から降りることなのかもしれません。自分がすでに安全な土壌に植えられ、必要な恵み(水)によって生かされているという事実を静かに受け入れること。まさに、思い出されるのが詩篇1篇です。「流れのほとりに植えられた木 時が来ると実を結び、その葉は枯れず、そのなすところはみな栄える。」そのような「環境への安心と充足」があって初めて、私たちは自分を守るためではなく、他者への愛や深い平安といった「内なる豊かな実」を豊かに実らせることができるのではないでしょうか。

渇きの中で深く根を下ろす時期と、充足の中で静かに実を結ぶ時期。 私たちの生き方には、この両方のプロセスが必要なのだと思わされます。

現在、畑の1つの畝には、飢え渇きを利用した伝統的な手法で苗が植えられています。そして残りの畝には、水分で回復させた苗を、後日植え付ける予定です。

異なる2つのアプローチで土に下ろされた苗が、秋にそれぞれどのような結果を見せてくれるのか。人間の理論や推測を超えたところで、自然が教えてくれるであろう答えを、今はただ気長に待ちたいと思います。