連載「パウロの終末論」もいよいよ最終回です。第1回で「終末論とは何か」という問いから出発し、二つの時代と二つの領域、黙示文学的言語、キリストの死と復活と昇天、復活と新しい創造、再臨と最後の審判、永遠の命と相続、希望と栄光、聖霊、そして日常生活と、Campbell の議論に沿って考えてきました。

今回は最終回として、Campbell の本のタイトルそのものに改めて目を向けます。

Paul and the Hope of Glory

直訳すれば「パウロと栄光の望み」となります。この表題は、コロサイ書1章27節の「あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである」(口語訳)に由来しています。パウロの終末論が最終的に指し示すもの、それを最後のまとめとして確認していきます。

「栄光の望み」の意味

コロサイ1:27で語られる「栄光の望み」(エルピス・ティース・ドクスィース、ἐλπὶς τῆς δόξης)は、本連載の中心テーマを一言で表しています。

「栄光」とは、来るべき時代を特徴づける究極の現実です(第9回)。「望み」とは、現在の時代における信仰者の生のあり方です(同)。そして、この2つを結びつけているのが「キリスト」です。パウロは、栄光の望みが他のどこかにあるのではなく、「あなたがたのうちにいますキリスト」のうちにあると語ります。

つまり、栄光の望みとは、抽象的な未来への期待ではなく、今、信仰者のうちに住んでおられるキリストご自身への希望だと言えます。来るべき時代の現実は、ほかならぬキリストを通して、今信仰者の内側ですでに始まっているのです。

パルーシアにおける完成

その「栄光の望み」が完成する出来事が、キリストの再臨(パルーシア、παρουσία)です。

第6回で詳しく見たように、パルーシアは王の到来を意味します。キリストの再臨において、過去におけるキリストの死と復活と昇天、現在の聖霊による信仰者の生、そして未来の死者の復活、最後の審判、新しい創造、永遠の命。そのすべてが結び合わされ、完成します。

テトス書はパルーシアを「祝福された望みであり、私たちの大いなる神でありまた救い主であるキリスト・イエスの栄光の現れ」(テトス2:13)と呼びます。「栄光の現れ」とは、栄光が隠された状態から完全に現れ出る出来事のことです。

この瞬間、今は隠れている栄光が、すべての人の前に明らかにされることになります。「現在の苦しみは、やがて私たちに啓示されようとする栄光に比べると、取るに足りない」(ローマ8:18)とパウロが語る、その「啓示」の瞬間です。

共に分かち合われる栄光

そして第9回でも触れたように、パウロが描く栄光は、孤独な栄光ではありません。

もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。

ローマ人への手紙8章17節(口語訳聖書)

ここで言われているように、栄光は、キリストご自身が独占するものではなく、キリストにあるすべての者と共に分かち合われるものです。

ここに、パウロの終末論の最も特徴的な点があります。最終的な希望は、個人がそれぞれの救いに到達することではありません。キリストとの一致のうちに、また兄弟姉妹との一致のうちに、共にキリストの栄光に与ることです。

Campbell は本の冒頭で、研究全体の結論をこう要約しています。

Paul’s eschatology is shaped by two overlapping ages, with the new age breaking into the present day, thus creating two competing realms of authority and dominion. The gift of the Spirit connects believers to the new realm and shapes life now in preparation for a glorious future. Paul expects the parousia of Christ to usher in the resurrection of the righteous dead and judgment of all humanity. He believed that the entire created order would be renewed with the glory of God in Christ permanently radiating through it. He looked forward to Christ sharing his eternal glory with his people, who will enjoy perfected resurrected bodies made fit for eternal life with God in Christ. And at the very heart of it all is the death, resurrection, and ascension of Christ—past events from which Paul’s Christocentric eschatological outlook unfurls.

パウロの終末論は、二つの重なり合う時代によって形成されており、新しい時代が現在に侵入してくることによって、権威と支配をめぐる二つの競合する領域が生み出されています。聖霊という賜物は、信仰者をこの新しい領域へとつなぎ、栄光ある未来に備えるかたちで現在の生を形作ります。パウロは、キリストのパルーシアによって、義人たちの復活と全人類の裁きがもたらされると期待していました。彼は、被造世界の全体が刷新され、キリストにある神の栄光が永続的にその中を輝き続けると信じていました。彼は、キリストがご自身の永遠の栄光をご自身の民と分かち合われることを待ち望んでおり、その民は神とキリストにある永遠の命にふさわしいよう完成された復活のからだを与えられることになるのです。そしてそのすべての中心にあるのは、キリストの死、復活、そして昇天であり、これらの過去の出来事から、パウロのキリスト中心的な終末論的展望が広がっていきます。

Constantine R. Campbell, Paul and the Hope of Glory: An Exegetical and Theological Study (Grand Rapids, MI: Zondervan Academic, 2020), 8.

ぼくどくメモ

12回にわたる連載も今回で最終回です。Campbell の本を通して、パウロの終末論の豊かさにあらためて触れることができました。

連載を通じて繰り返し確認してきたのは、パウロの終末論が決して遠い未来の話ではないということでした。それはキリストご自身であり、今ここに住む聖霊であり、今教会において先取りされている来るべき時代であり、現在の労働や被造物へ視点の中で表現される希望の形です。

本書のタイトルにもあるように、コロサイ書の「栄光の望み」に着目して終末論を包括的に理解しているCampbellの慧眼に脱帽です。

今回の学びを通じて、「主の再臨を待ち望む」という告白の重みが、改めて深まったように感じます。

参考文献:Constantine R. Campbell, Paul and the Hope of Glory: An Exegetical and Theological Study (Grand Rapids, MI: Zondervan Academic, 2020).