ブリスベンに到着した翌朝、私はどこか清々しい気分で目を覚ました。幸いひどい時差ボケもなく、体は軽い。窓の外では、夏から秋へと移ろい始めた柔らかな日差しが、日本のそれよりも少しだけ乾いた光を部屋に投げかけていた。
この日の予定は、初めてのスタッフミーティングだ。事前に聞いていた情報では、教会のスタッフは全部で10名ほど。そのうち、私がこの1年間活動を共にする「チーム」は5人だという。教会自体は伝統的なスタイルで、日曜には朝2回、夜1回の礼拝がある。さらに夕方には会場を移動しての礼拝も行われており、私は主にこの「夕方の礼拝奉仕チーム」に加わることになっていた。
シェアハウスを出て、同居人の彼と共にメインの教会へ向かう。これから最初のミーティングが予定されている。彼は昨日空港まで迎えに来てくれた、頼れる兄貴分だ。道中、彼は当たり前のように車を停めた。「やはり、ここでもコーヒーか」。日本ではドライブスルーで済ませるような場面でも、この街のこだわりが詰まった個人経営のカフェにそんなものはない。私たちは車を降り、店内の列に並んだ。
「彼は昨日、日本から来たんだ!」
陽気な彼は、店員に私を紹介した。店員は眩しい笑顔で「Welcome!」とコーヒーを差し出してくれる。コーヒー一杯を買うだけで、なぜこれほどまでにドラマチックに歓迎されるのだろうか。温かいカップを手に、私たちは教会へと滑り込んだ。カフェに寄ったせいで予定の時間をわずかに過ぎており、「初日から遅刻だ」と冷や汗をかきながらドアを開けたが、意外にも部屋にはまだ誰もいなかった。
「……誰もいないね」「ああ、まだ時間じゃないからな」。彼の言葉に、これが「オーストラリア感覚」かと拍子抜けした。見渡せば、会議室の壁は驚くほどカラフルだ。オレンジ、グレー、そして淡いイエロー。日本の教会の事務室ではまずお目にかかれない、ポップでエネルギッシュな配色の部屋。私たちはその色彩に包まれながら、コーヒーの香りを楽しみつつ残りのメンバーを待った。
しばらくして、賑やかな声とともに4人のスタッフが姿を現した。その中に、私がずっと会いたかった人物がいた。メインパスター(主任牧師)だ。日本にいた私に「来ないか」と声をかけてくれた恩人。メールの文字越しでしか知らなかった彼と、ついに初対面を果たす瞬間が訪れた。
彼はサングラスをかけて現れた。その佇まいは「牧師」というより、むしろ「イケオジ」という言葉が相応しいダンディさだ。トレードマークは、使い古されたヤンキースのキャップ。余談だが、後に私が同じ帽子を買って被っていたとき、「俺の帽子を盗んだのか?」と真顔で言われ、一瞬肝を冷やしたことがある。もちろん、それは彼流のジョークだったのだが。
他のメンバーもまた、個性が爆発していた。一人はカナダ出身のパスターで、ダメージジーンズを履きこなす姿はまるでロックシンガーのようだ。もう一人はインドにルーツを持つ長身の青年。彼は現在研修中で、将来は神学校へ進む予定だという。そして4人目は、こよなくラップを愛するパスター。桜のタトゥーが入った腕が目をひくその見た目は、メンバーの中では一番イカついが、その眼差しは誰よりも優しさに満ちていた。
個性豊かな5人との初めてのミーティング。言葉の壁への不安や緊張は確かにあったが、不思議と心の奥は凪いでいた。この部屋に流れる、互いを認め合うような自由で温かい空気が、私の強張った心を解きほぐしてくれたのだ。
一通りの活動内容の説明が終わった後、私はずっと気になっていたことを切り出した。相手は恩人であり、教会のトップだ。失礼があってはならない。「皆さんのことは、何とお呼びすればいいでしょうか?」
日本では牧師を「先生」と呼ぶのが通例だ。ここでも敬意を込めて「Pastor ○○」と呼ぶべきか。私の問いに、メインパスターの彼はニカッと人懐っこい笑顔を浮かべて答えた。「ファーストネームでいいよ。だって……」
“You are my mate!”
メイト。初めはその響きに戸惑ったが、言葉の意味がゆっくりと、しかし力強く心に染み渡っていった。友人、相棒、そして、対等な仲間。日本では「先生」という言葉で適切な距離を保つことで敬意を示す。それは秩序を重んじる美しい文化だ。けれども彼は、はるばる海を越えてきた何者でもない若造に対し、その境界線を軽やかに飛び越えて隣に立ってくれたのだ。
敬意とは、単に距離を置くことではない。同じ目線に立ち、友として共に歩むこと。それもまた、一つの尊いリーダーシップの形なのだと教えられた気がした。あれから十数年、私は20歳近く離れた彼を今でも名前で呼んでいる。「先生」と敬う日本の文化も大切だが、あの時、肩を組んで「メイト」と呼んでくれたオーストラリアの空気は、たまらなく心地よかった。
