ついに、彼の住むシェアハウスに到着した。ブリスベンの中心街からほど近い丘の上にあり、そこからは街の夜景が一望できた。キラキラと輝くブリスベンの灯りを見つめながら、「本当にここに来たんだ」という実感が、心地よい疲れとともにじわじわと湧いてくる。

すぐそばには大きなスタジアムがある。オーストラリアではラグビーが人気だが、最近はサッカー熱も高まっているらしい。先日も某世界的アーティストのコンサートがあり、近隣にその音が鳴り響いていたという。熱気あふれる中心街のすぐそばに、こんなにも静かな住宅街があるなんて、なんとも不思議な街だと思った。

案内された家には、3つの個室と広々としたリビングがあった。リビングの壁には、私を迎えるための「Welcome」の飾り付けがされている。そのうちの一室が、私の当面の居場所だ。もう一人の住人はあいにく不在のようだったが、部屋はホテルのように整頓されていて、清潔な空気が流れていた。

荷物を置き、ひと息ついたところで、私はずっと胸の内にあった疑問を尋ねた。

「なぜ、会ったこともない私を住ませてくれることになったの?」

そこで彼が見せてくれたのは、ある動画だった。それは、私がまだ日本にいて、ブリスベンに到着する前の、現地での礼拝の様子だった。アナウンスの中で、一人の日本人がもうすぐここへ来ること、そして1年間住む場所を探していることが伝えられていた。

画面の中で、顔も知らない私のために祈り、備えようとしてくれている人たちがいる。動画を見せてもらった瞬間、感謝とともに、胸の奥が熱くなるのを感じた。

「片道切符で、そんな都合のいい話があるんだろうか」と、どこか心の奥で不安を抱えていた自分を、その温かな歓迎が優しく包み込んでくれた。幸いなことに、シェアハウスの住人の一人がちょうど一ヶ月間の旅行に出ることになり、まずはその空き部屋に「居候」させてもらえることになったのだという。

後から知ったことだが、これはオーストラリアではよくある「ハウスシッティング(留守番)」のような仕組みらしい。それでも、家探しのあてもなく日本を飛び出した当時の私にとっては、神様が備えてくれた奇跡的な巡り合わせにしか思えなかった。

今振り返ってみても、この日を皮切りに始まるオーストラリアでの一年間は、こうした「数えきれないほどの人たちの助け」の積み重ねだった。ただただ、感謝の思いしか湧いてこない。

一通り家の使い方を聞いた後、私は「やる気満々」でこう切り出した。

「オーストラリアは水が貴重だって聞いたから、シャワーの時間には細心の注意を払うよ!」

事前に調べて、節水のためにシャワー時間が制限される家が多いと知っていた私は、少しでも迷惑をかけまいと意気込んでいたのだ。

ところが、彼は私の気負いを見て、声を上げて笑った。

「ははは、そこまで気にしなくていいよ。ゆっくり入って大丈夫だから。」

丘の上から見える夜景の美しさもさることながら、その夜、私を一番安心させたのは、見えない「祈り」と人々の厚意によって用意された温かなシャワーと静かな部屋だった。