荷物を回収し、ゲートの先にある到着ロビーへ向かった。 多くの人でごった返すブリスベン空港。さすがはオーストラリア第三の都市だ。シドニーやメルボルンに比べると観光客は少ないようだが、スーツに身を包んだビジネスマンが足早に行き交う、活気ある「ビジネスシティ」特有の熱気がそこにはあった。
見つけるまでは、それほど時間はかからなかった。乗客が次々と溢れ出てくるロビーの片隅で、その人は一枚のボードを掲げて立っていた。そこには日本語で「ようこそ」の文字と、私の名前。テレビで見たことのあるような光景だが、いざ自分が当事者になってみると、少しの照れ臭さと、それ以上に大きな安堵が込み上げてきた。
彼は、これからお世話になる教会のスタッフであり、私が1年間行動を共にする5人のうちの1人だった。初対面の彼に、短い挨拶を済ませる。いや、意図して短くしたのではなく、緊張と焦りで言葉が続かなかっただけなのだが。それでも彼はとても落ち着いた様子で、快く私を出迎えてくれた。顎に髭を蓄え、年齢は自分よりも一回り上といったところだろうか。
彼は南アフリカ出身だという。オーストラリアは世界でも有数の多民族国家だ。この1年間で私は数えきれないほどの人々と出会うことになるが、当初、私はごく自然に「Where are you from?」と尋ねてしまっていた。しかし、返ってくる反応の多くは、私の予想とは違っていた。
「私はオーストラリア生まれだよ。君が聞きたいのは、『もともとのルーツ』がどこかってことかな?」
何度かこうした経験を重ねるたびに、私は自分の無知を恥じた。確かに、見た目の印象がアジア系、欧米系、あるいはアフリカ系であっても、それがそのまま国籍を意味するわけではない。頭では分かっているような当たり前のことが、本当の意味で腑に落ちたのは、この地に来てからだった。
それからは、どうしても聞く必要があるときには「Where are you originally from?」という表現を選ぶようになった。もっとも、次第にルーツを問うこと自体が、私の中でさして重要ではなくなっていったのだが。
人種の問題は根深い。日本人であることで差別を受ける可能性もゼロではないだろう。しかし、初めてブリスベンに降り立ったあの日、不思議と不安や恐れは感じなかった。見知らぬ土地の誰かが、自分の名前を掲げて待っていてくれる。その事実だけで、こんな自分でもこの場所に受け入れられているような、静かな確信を抱くことができたのだ。
迎えに来てくれた彼の車に、荷物を積み込む。1年間の滞在にしては、私の荷物はあまりにも少なかった。トランクの余ったスペースを見つめながら、「彼はこの身軽すぎる荷物を見て、どう思っているだろうか」と、ふと心配になったのを覚えている。
ブリスベンでの最初の目的地は、これから一ヶ月お世話になるシェアハウスだ。しかしそこへ向かう前に、彼は「まず寄りたい場所がある」と言って、あるカフェへと車を走らせた。
私が日常的にコーヒーを飲むようになったのは、間違いなくこの時の彼の影響だ。彼はどこへ行くときも、必ず片手にコーヒーを持っていた。礼拝に向かうときも、チームミーティングのときも。鮮やかな色のシャツにタイトなズボンを穿きこなし、颯爽と歩く姿には、異国の風に馴染んだ独特のスタイルがあった。その洗練された佇まいを丸ごと真似ることは到底できなかったが、せめて「コーヒーを飲む姿」だけでも、彼に近づきたいと思った。
オーストラリアの街には、驚くほどカフェが多い。それも、どこにでもあるチェーン店ではなく、強いこだわりを持った個人経営の店が至る所にある。コーヒーが単なる飲み物ではなく、この国の文化そのものとして深く根付いていることを肌で感じた。
当時の私にとって、コーヒーといえば「インスタントにミルクと砂糖をたっぷり入れて飲むもの」程度の認識しかなかった。しかし、彼から「何にする?」と聞かれたとき、私は少しだけクールさを装ってこう返した。
「Same as you(同じものを)」
そうして出てきたのは、きめ細やかな泡が美しいカフェラテだった。その深いコクと香りに圧倒されながらも、必死に「いつものことだ」という顔をして飲み進めるうちに、私はすっかりオーストラリアのコーヒー文化の虜になってしまった。
カフェについての思い出は尽きないが、それはまたいつか別の機会に。あの日、ほろ苦くもどこか心に染み渡るような温もりを持ったカフェラテを飲み干した瞬間から、私のブリスベンでの日々は、確かな手触りを持って始まったのだ。
