クリスマスの驚き〜『ルカの福音書』のクリスマス〜

クリスマスの驚き〜『ルカの福音書』のクリスマス〜 新約聖書
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今年も「今年の漢字」が発表されましたね。今年は「金」の字でした。

聖書には、クリスマスの物語が主に『マタイの福音書』と『ルカの福音書』に記されていますが、もしも『ルカ』のクリスマス物語を漢字一字で表すなら、私は「驚」がぴったりくるように思います。

ルカのクリスマス物語には、「驚き」が詰め込まれています。そこで3つの驚きに注目しましょう。

※以下、聖書の引用はすべて口語訳です。

羊飼い

救い主の誕生の知らせを初めに聞いたのは羊飼いでした。「羊飼い」という職業は、当時の社会において、いわば末端であったと言って良いかと思います。いつも羊の世話をしないといけないので、神殿に礼拝をささげに行くことも叶いません。ある意味、社会から除外されていた人々です。しかし、そのような者たちに、初めに救い主の知らせが告げられたのです。

ルカ2:10「御使は言った、『恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。』

そのような羊飼いに、すなわち社会で除外されている人々、底辺に位置するような人々に、最初に救い主の誕生が知らされたことは大きな驚きでありました。これが一つ目の驚きです。

ちなみに、もしも羊飼いたちが裕福であったなら、救い主を素直に受け入れることはできなかったかもしれません。しかし、羊飼いたちはそのような境遇にいたからこそ、目の前にいる無力で弱い幼子を救い主として受け入れることができたのではないでしょうか。

二つ目の驚きは、クリスマスの出来事は新しい王の誕生であるということです。

ルカはクリスマスの物語を記す上で、2章1節「皇帝アウグスト」から始めます。これは単に当時の皇帝を記したということではありません。明らかに、イエス・キリストの誕生に関係する人物として記しています。

当時のユダヤ社会は、ローマ帝国によって支配されていました。いわば、植民地であり、ローマ帝国の属国です。そして、そこにはローマ帝国によって立てられたヘロデ王率いる傀儡政権がありました。ですので、ユダヤの人々に「あなたの王は誰か?」と聞いたら、十中八九「ヘロデ王」あるいは「皇帝アウグスト」と答えたことでしょう。ルカはあえてその事実を冒頭に記すことで、イエス・キリストが「王」であることを対照的に描いているように思われます。11節ではこのように言われています。

ルカ2:11「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。」

ここで二つの点に注目しましょう。一つ目は「ダビデの町」です。なぜルカはユダヤをわざわざ「ダビデ」の町と表現しているのでしょうか。ダビデというのは、誰もが知るイスラエル史上最も偉大な王と言っても過言ではない人物でしょう。まさに、イエスはあの王なるダビデを彷彿とさせるような「王」であるということをルカは暗に示そうとしているのではないでしょうか。二つ目は、「キリスト」です。これはヘブル語の「メシア」のギリシア誤訳です。メシアというのは「油注がれた者」であり、旧約聖書では王に対して使われる称号でもあります。したがって、まさにイエスは「キリスト」、つまり「王」であるということがここで明示されているということです。

以上の点を踏まえると、飼い葉桶に眠るこの幼子が新しい王である、というメッセージがいかに驚きであったのかということがわかるのではないでしょうか。ルカはここで誰もが認める皇帝アウグストではなく、イエスこそが新しい王であると言っているわけです。これはローマの支配を打ち倒すような王を期待していたユダヤの民にとっては驚き以外の何者でもありません。これが二つ目の驚きです。

平和をもたらす王

王というのは、一人しか存在し得ません。つまり、新しい王が生まれたということは、皇帝アウグストはもはや王ではなくなるということです。そこで、三つ目の驚きが生まれます。つまり、新しく生まれたこの幼子は、どのように皇帝アウグストを打倒するのか、ということです。その方法が、驚きなのです。

王の役割は、治める国、民に「平和」をもたらすことです。実際、ローマ帝国を治める皇帝は平和をもたらしました。皇帝アウグストは当時の戦乱の世にあって、まさに「平和」を実現した人物です。彼の統治した時代は、「Pax Romana(ローマの平和)」と呼ばれました。それは、ローマ帝国の圧倒的な軍事力のもとに築かれた平和で、200年間続いたと言われています。

しかし、それは果たしてまことの平和と言えるのでしょうか。表向きには戦いがなかったかもしれません。しかし、いつも人々は武力によって押さえつけられ、恐怖に支配されていました。その状況は、本当の平和と言えるのか、ということです。事実、それは「偽りの平和」だったのです。

聖書が教える「平和」とは、単に戦いがないことではありません。これはヘブル語の「シャローム」という言葉の意味を考えるとよくわかります。シャロームは単に「平和」だけではなく、「繁栄」や「幸福」という意味もあります。とても豊かな意味合いのある言葉が、通常「平和」と訳されるシャロームという言葉です。そして、その意味を一言で言うなら、それは「あらゆる関係が良好であること」と言えます。単に戦っていないだけではなくて、関係が良好であること、調和していること、そこで初めて「平和」だと言えるのです。

そして、まさにそのようなまことの平和を実現されたのが、新しくお生まれになった王なるイエスです。それは、皇帝アウグストのように武力によるものではありませんでした。むしろ、弱さによって、その平和を打ち立てられたのです。人を支配するのではなく、人に仕えることによって。人を憎むのではなく、人を愛することによって。命を奪うのではなく、命を与えることによって、イエスは平和をつくられたのです。そのような自分を犠牲にするような王など、どこにもいませんでした。そのような王の誕生は、まさに社会の価値観を逆転させたのです。これが三つ目の驚きです。

以上、3つの驚きがルカのクリスマス物語には表されています。羊飼いたちは、その知らせを聞き、救い主と出会い、驚きました。しかし、クリスマスのメッセージは、ただ驚かせるだけではありません。その驚きは、その人のこれからの生き方を決定的に変え得るものなのです。

羊飼いたちは、救い主を探し当てた後、再び元の生活に戻っていきました。

2:20「羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。

こうして、彼らはまたいつも通りの生活に戻ったわけです。それでは、彼らの生活はこれまでと全く同じだったのか、と言えば、そうではなかっただろうと思います。彼らは確かに、クリスマスの驚きを経験したのです。その驚きは、これからの羊飼いたちの人生に大きな影響をもたらしたことでしょう。確かに、羊飼いという職業、社会的な境遇、それらが劇的に変わるということはなかったでしょう。しかし、確かに新しい王がお生まれになった、それも自分たちのような者のために生まれてくださった、ということが、彼らにはよくわかったことでしょう。それは、生きる上での希望となり、力となり、慰めとなったのではないかと思います。その人生は、神への賛美であふれたのではないでしょうか。

私たちもクリスマスの物語を聞いたところで、生活が全く変わるという経験は、ほとんどないと思います。しかし、クリスマスにお生まれになった新しい王、救い主イエスを知ることは、私たちの人生にも大きな影響をもたらすものであるように思います。

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