「やられたら、やり返す」のか。「それとも、黙って耐え忍ぶ」のか。 私たちは対立や抑圧に直面したとき、しばしば「戦う(暴力)」か「逃げる(無抵抗・屈服)」かの二択を迫られているように感じます。
しかし、ウォルター・ウィンクはそのどちらでもない、イエスが提示した「第三の道」を本書で鮮やかに描き出しています。
1. 「右の頬を向けなさい」の真意
山上の説教の中でも、よく知られている教えの一つに、「もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」(マタイ5:39)というものがあります。これは一見すると、忍従(服従)の教えであるように思われますが、これは単なる「弱々しい無抵抗」と捉えるのは誤解であるとウィンクは指摘しています。
- 当時の背景
右手で相手の「右の頬」を打つには、手の甲で打つしかありません。これは、侮辱を意味するものでした。 - 第三の道
そこで、右ではなく左の頬を向けることは、相手に「手の平」で打たせるということであり、それは侮辱ではなく、「私を対等な人間として扱え」という、自分の尊厳を取り戻すための非暴力的な抵抗になります。
本書では、マタイ5章の他の例についても、当時の社会背景(債務問題やローマ軍の徴用規定)から鋭く分析されています。
- 下着まで差し出す(マタイ5:40)
裸になることで、剥ぎ取った側の非道を公衆の面前に晒す。 - 2マイル行く(マタイ5:41)
規定以上(一マイル以上)の荷物を運ばせることを禁じられていたローマ兵を、逆に窮地に立たせる(規則違反にさせる)。
これらは、力で対抗するのではなく、相手の土俵を壊し、人間の尊厳を回復させるためのユーモアさえ含んだ戦略だと言えます。
2. 「力の神話」から自由になる
ウィンクが批判するのは、現代社会を支配する「救いは暴力を媒介してもたらされるという神話(Myth of Redemptive Violence)」(P.52)です(訳注によれば、これはウィンク自身による用語)。「正義のためなら暴力(力)もやむを得ない」という考え方に対し、イエスが示した道がいかに革命的で、かつ「実践的」であったか。ウィンクは信仰が単なる内面の平安ではなく、社会的な「力」への対峙であることを教えてくれます。
本書からは、ウィンクがいかに聖書の教えを実践しようとしているかが、その端々から伝わってきます。その中でも、1986年にフィリピンで起きた非暴力革命にウィンクは深く関わっているようですが、これに対しては、意見が別れるだろうとのことは訳者あとがきにて指摘されています(P.113)。ですが、「本書が提示するイエスの非暴力の姿勢については、総じて肯定できるのではないでしょうか」とも述べられているように、私自身も極めて実際的なことを学ぶことができました。
中でも、個人的に教えられたことは、本書タイトルにもあるように「第三の道」という視点です。これはあらゆる場面に当てはまるもので、それは「勝ち」か「負け」かで決められる戦いでも同様だと言えます。つまり、戦いを勝ちか負けかでは見ないということです。印象的なエピソードとして、ガンジーの話があります。
…ガンジーは、現場の状況にあわせて要求を果たそうと努め、たたかいは相手に対する勝利を目指すものではなく、基本的正義のためであることを人々に説得しようとしました。不可触民のワイッコム・テンプル・ロードを通行する権利をめぐってのたたかいでは、ガンジーに指導されたデモ参加者たちが獄をあふれさせた挙句、ついには権利を認めさせたのですが、獲得した権利である道路の使用を数ヶ月にわたって控えたことがありました。そのことでブラーミンや政府当局は対面を保ち、相手に降伏して譲歩したと思わせないですんだのでした。ガンジーは、相手を打ち破るために意地悪な手段を用いる「弱い者の非暴力」と、抑圧的な行為から相手を解放することで彼/彼女の善を求める「強い者の非暴力」(ガンジーが言うところのサチャグラハ、あるいは「真理の力」)とを識別していました。
ウォルター・ウィンク、志村真訳『イエスと非暴力 第三の道』(新教出版社、2006年)、68-69頁
戦いというのは、暴力的なものにしろ、非暴力的なものにしろ、普通は勝ち負けをつけるものだと思われがちですが、そこにも「第三の道」、つまり、お互いを尊重し合った落とし所を見つける道があることがあるということを教えられます。
このような時代だからこそ
聖書を読んでいると、漠然と「非暴力」について教えられていると感じることがありますが、ウィンクの熱い言葉から、「非暴力」という言葉が、弱さではなく「強い能動性」を伴ったものであることに気づかされます。 ウィンクによれば、敵を愛するということは、敵もまた神の子であることを認めることだと言います(P.65)。結局は、誰もが自分の正しさを証明するために、勝ち負けを決めようとするわけですが、そのような視点から抜け出す道があることを、学ぶことができます。それはまさに、対立の絶えない現代において、私たちが手にするべき知恵と言ってもよいのかもしれません。
とりわけ、昨今、ますます力による支配、力による解決といった現実が浮き彫りになっています。そのような時代にあって、暴力か服従かではない第三の道があることを知ることは、決して無駄なことではないように思います。そして、それは決して夢想ではなく、実現可能であることを、ウィンクの熱量のこもった言葉から体感していただきたいと思います。
