誰にとっても身近な「経済」という言葉を、今回は聖書の視点から考えてみたいと思います。実は「経済」の語源を辿ると、そこには個人の生き方から宇宙の完成に至るまでの、壮大な「神様のデザイン」が隠されています。

1. 経済のルーツ:「オイコノミア」とは何か

「エコノミー(Economy)」の語源は、ギリシア語の「オイコノミア(οἰκονομία)」です。 この言葉は、「家」を意味する「オイコス(οἶκος)」と「管理する」を意味する「ネモー(νέμω)」という2つの言葉が合わさった複合語です(ちなみに、この動詞「ネモー」は、「規範」や「律法」を意味する名詞「ノモス(νόμος)に由来します)。

古代ギリシア・ローマ世界において、「オイコノミア」は、「家長」や「荘園管理者」を指していましたが、それが転じて、さまざまな家事管理者(例えば、料理長)から国家官僚(例えば、皇帝の代官)まで、幅広い管理者を指す言葉となりました。[参照:Moisés Silva, ed., New International Dictionary of New Testament Theology and Exegesis (Grand Rapids, MI: Zondervan, 2014), 465.]

聖書の中では、この言葉は、「管理人」や「管理者」として翻訳されています。そして、それらは基本的に「家の管理人(家政)」を意味しています。ですが、これは現代のようないわゆる「家事」のイメージとは異なるものと言えるかもしれません。というのも、当時の大きな家庭(オイコス)は、単なる住居ではなく、生産や消費が行われる一つの小さな経済圏であったからです。そこを秩序正しく管理することが「オイコノミア」の本質だと言えます。

それでは、具体的に聖書中でどのように用いられているのかをみていきましょう。新約聖書はこの言葉を、驚くほどダイナミックな2つのスケールで用いています。

2.オイコノミアとオイコノモスの違い

初めに、関連する二つの言葉のニュアンスの違いを確認しましょう。

οἰκονομία(オイコノミア)=「営み・計画・管理」

これは「事柄」を指す名詞です。

  • 意味: 家政、管理、運営、計画、経綸。
  • 聖書中の使用法: エペソ1:10にあるように、神様の「救いの計画(エコノミー)」や、誰かに任された「職務(マネジメントの仕組み)」そのものを指します。
  • 現代語への繋がり: これが英語の Economy(経済) の直接の語源です。

οἰκονόμος(オイコノモス)=「管理者・家令」

これは「人」を指す名詞です。末尾の「-ος」が人を表す形になっています。

  • 意味: 家令、管理者、マネージャー、執事。
  • 聖書中の使用法: 第一コリント4:1にあるように、神の奥義を任された「人(管理者)」を指します。
  • 当時のイメージ: 主人の全財産を任され、他の使用人たちにパンを配ったり、帳簿をつけたりする具体的な「責任者」のことです。

3. ミクロの視点:託された者の誠実(1cor.4:1-2)

1 このようなわけだから、人はわたしたちを、キリストに仕える者、神の奥義を管理している者と見るがよい。 
2 この場合、管理者に要求されているのは、忠実であることである。

コリント人への手紙第一4章1-2節(口語訳聖書)

ここで使徒パウロは、信仰者の生き方を「管理している者(オイコノモス)」だと説明しています。

  • 「管理者(オイコノモス)」の役割: 当時の管理者は、主人の家の全財産、食料、人事を任され、それを適切なタイミングで家族やしもべに分配する責任を負っていました。
  • 「忠実」の意味: ここで求められる「忠実」とは、単に規則を守ることではなく、「主人の意図を理解し、その目的のために預かっているもの(お金、時間、才能)を最大限に活かす」という能動的な姿勢を指しています。

この点を踏まえるならば、聖書的な視点から考える経済活動の出発点は「所有」ではなく「委託」にあると言えます。自分の持ち物さえも「神の家の資源」として管理する。これが、クリスチャンにとっての最小単位の「エコノミー」となります。

4. マクロの視点:神による全宇宙の経営(Eph.1:10)

エペソ書では、さらに大きな視点から語られます。

それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。

エペソ人への手紙1章10節(口語訳聖書)

ここで「計画」と訳されている言葉は、「オイコノミア(エコノミーの語源)」です。

  • 神のエコノミー: 神は、罪によってバラバラに壊れてしまったこの世界(宇宙という大きな家)を、キリストによって再び一つにまとめようとしておられます。
  • 「エコノミー」としての救い: 神は歴史というプロセスを通じて、最も適切なタイミングで、最も適切な方法で、救いのリソースを投入されています。いわば、全宇宙を完成へと導く「神のエコノミー計画」が実行されているのです。

結論:二つのエコノミーが交差する場所

ここまで、エコノミーの語源となった言葉を聖書的な視点から概観しましたが、聖書が描く「経済」の一端が垣間見られるのではないでしょうか。ここには、人間の視点(家の経済)から神の視点(宇宙の経済)というダイナミックな繋がりがあります。

  1. 神は、全宇宙をキリストによって一つにまとめるという壮大な計画(マクロのエコノミー)を進めておられる。
  2. 私たちは、その大きな計画の一部を、自分の日常という小さな現場で任されている(ミクロのエコノミー)。

このことは、現代に生きる私たちが、身近な「経済」について考える際にも重要な視点を与えてくれるように思います。つまり、私たちが日々の仕事で誠実に価値を生み出し、家計を整え、困っている人に分かち合うことは、単なる世俗的な活動ではなく、エペソ1章10節が語る「すべてのものを一つにまとめる」(新共同訳)という聖書が示す神のエコノミーに、現場の責任者として参画するプロセスだということです。

これまで、とりわけ、教会やクリスチャンの間では、「経済」という言葉のイメージに対してよくない印象が持たれてきたように思います。もしかしたら、そこには、お金を稼ぐことがよくないことだという誤解があったのかもしれません。ですが、本来あるべき経済とは、単なる数字の動きではありません。それは、神が愛するこの世界(家)を、より良く、より美しく整えていくための管理そのものです。そのように考えるなら、全く新しい視点から経済を見ることができるようになるのではないでしょうか。