高校の卒業式を終え、私はそのまま神学校の門を潜った。
世間ではよく「牧師になる前に社会経験を積むべきだ」という声が聞こえてくる。確かに一理ある。しかし当時の私は、その「型」がすべての人に一律に当てはまるとは思わなかった。むしろ、一刻も早く神学の深淵に触れたいという、若さゆえの焦燥感のようなものがあったのかもしれない。
神学校には、一般企業でのキャリアを経て入学してきた、謙虚で思慮深い先輩たちが大勢いた。先輩たちと過ごす中で気づかされたのは、「どれだけ仕事をしたか」という人間的なモノサシで自分を測る必要はない、ということだ。神学校での生活は実に充実していた。気の合う友と夜通し語り合い、教授たちの言葉に知的な興奮を覚える日々。
しかし、私の心のコンパスは、いつも「海外」という方角を指していたように思う。
根拠なき「一年のこだわり」
当時の私には、留学のツテもなければ、軍資金も皆無。普通なら学校の制度を利用するのだろうが、それはあまりに狭き門だった。しかも私には、今振り返れば失笑してしまうような、謎の「こだわり」があった。
「せっかく行くなら、最低でも一年は必要だ」
なぜ一年なのか? 根拠など何もない。短期の海外旅行では得られない、何か決定的な「変革」を求めていたのかもしれない。
しかし、かつて一度は開きかけたドア——絶対に開くと確信していたあのドア——が閉ざされて以来、私はどこか疑心暗鬼になっていた。
「本当に、私を認識してくれるセンサーはこの世にあるのだろうか?」
信仰か、それとも飛び込み営業か
そこで私が繰り出したのは、若さと無知を武器にした「力技」だった。神学生という身分を最大限に利用し、事あるごとに教会を訪ねては、宣教師たちに片っ端からアタックすることにしたのだ。
名刺も持たない私は、さながら「信仰」という名の商品を担いだ飛び込み営業マンだった。初対面の宣教師を前に、私はいつもこう切り出した。
「あなたの母国の教会で、私をインターンとして受け入れてくれませんか?」
今思えば、なんと身勝手で突拍子もないお願いだろう。どこの馬の骨ともしれない学生が、いきなり「あなたの国へ行かせてくれ」と言ってくるのだ。宣教師たちの反応は一様に困惑に満ちていた。彼らが優しく微笑みながらお断りの言葉を探す姿を見て、私は自分の存在が透明人間にでもなったような気がした。センサーは、一向に私を検知してくれない。
正直に白状すれば、その時点での私は「インターン」が具体的に何をするのかさえ理解していなかった。航空券を買ったことすらない若造が、異国の教会に行き、「インターン」をしようなど、無謀を通り越して喜劇である。
それでも心が折れなかったのは、一度大きな挫折を経験し、「拒絶されること」に対して変な耐性がついていたからかもしれない。「ダメで元々。やらなきゃ損」——それは信仰というよりは、持たざる者のヤケクソに近い居直りだった。
かすかな駆動音
空振りの日々が半年ほど続いた頃だった。一人のオーストラリア人宣教師から、意外な返事が届いた。
「現地に、あなたを受け入れてくれるかもしれない教会がある」
もちろん、彼とは初対面。紹介された現地の教会のことも、私は何一つ知らなかった。しかし、その時の私にとって、それは何物にも代えがたい「希望」の光だった。
ガタン
ついに、自動ドアがかすかな音を立てて動き出したのだ。
(続く)
