プロローグ:牧師の原点

ポケットの中で、スマートフォンが短く震えた。画面を覗くと、見覚えのある英語のメッセージが浮かんでいた。

Hi! We’re missing you.

それは、海の向こうに住む恩人からの連絡だった。私にとっては父のようであり、牧師としての模範でもある人。そのたった一行が、冬の冷たい空気に包まれていた私の心を、一瞬にしてあの突き抜けるような青空と、熱い風の吹く街へと連れ戻した。


牧師として歩み始めてから、それなりの月日が流れた。けれど、ふとした瞬間に思い出すのは、2010年代初頭に過ごしたオーストラリアでの一年のことだ。

これまで、この経験を詳しく語ることはあまりなかった。隠していたわけではない。ただ、あの濃密な日々をどう言葉にすればいいのか、自分の中で整理がつくのを待っていたのかもしれない。

今、あの時と同じ選択ができるかと言えば、正直に言って自信がない。当時の私は何も持たず、ただひたすらに、がむしゃらだった。けれど、何も持っていなかったからこそ、失うものを恐れずに日本を飛び出すことができたのだとも思う。


高校生の頃、英語が得意だという自負があった。英検の級を持っていたわけでも、優等生だったわけでもない。ただ、英語というツールが、自分の世界を外へと広げてくれるという理由のない自信だけがあった。

幼い頃から身近には海外で働く日本人宣教師がいて、その話を聞くたびに「いつか自分も」と漠然とした憧れを抱いていた。高校卒業を控えた頃、神学校へ進む前に海外へ行く道はないかと相談してみたが、結局その道が開かれることはなかった。

ショックに沈んでいた私を励ましてくれた言葉を今でも覚えている。

「人生というのは、自動ドアの連続で、そのドアが開くかどうかは、近くまで行ってみないと分からないんだよ。もし開けば、その先へ進むために時間もお金も使えばいいんだ。」

ドアが開くかどうかは、行ってみなければ分からない。その言葉は、今も私の心に深く刻まれている。以来、私は心の中に「海外」という風景を抱き続けてきた。けれど、ただ眺めているだけではセンサーは反応しない。自らの足で、その範囲内まで近づかなければならないのだ。

私は、あらゆる機会を見つけては、目の前の「自動ドア」へと向かって歩き始めた。

(続く)