今週は、少し遅めの冬休みをいただき、しばしのリフレッシュをしています。今は実家のリビングの片隅で、コーヒーを飲みながらこの文章を打っています。
ふと思ったのですが、牧師の「休み」というのは、それぞれの教会でどのような仕組みになっているのでしょうか。
牧師不在の日曜日
一般的に牧師が休みを取る場合、主日の礼拝には「代役」を立てることが多いと思います。教団から派遣される先生や引退された先生、近隣教会の先生にお願いしたり、あるいは信徒の方が証しや奨励を担当されたり。最近では、映像(オンライン説教/録画)を活用したり、皆で分かち合う時間を中心に据えたりと、多様な取り組みを耳にするようになりました。
どのようなスタイルであれ、大切なのは「教会全体でそれを受け入れる姿勢」です。「牧師がいなければ教会は回らない」というある種の固定観念から、日本の教会も少しずつ自由になりつつあるのではないかなと、最近はそんな実感を抱いています。
自営業ではない「教会の形」
とはいえ、現実的に牧師が休みを取りづらいという状況は依然として存在します。これは牧師に限った話ではなく、自営業の方々が抱える「自分が動かなければ回らない」という責任感や不安にも通じる部分があるかもしれません。
しかし、教会というのは牧師の「自営業」ではありません。そこを一括りにしてしまうのは、少し違うように思うのです。
教会は、特定の人による「ワンマン」で成立する組織ではなく、メンバー一人ひとりの賜物によって建て上げられるものです。ですので、視点を変えてみることも、大事なことかもしれません。つまり、牧師が不在の時間は、むしろ「牧師という役職」に依存するのではなく、「キリストの体としての教会」を再確認する機会にもなり得るのではないか、ということです。
特に今、どこの教会でも聞かれるのが「後任の牧師がいない」という切実な問題です。教会のあり方について、これまでのやり方では上手くいかなくなることは、すでに目に見えています。
もちろん、そのような危機に関する話し合いはこれまでもなされてきたことであり、ある種どうしようもない面もあるのかもしれません。しかし、今からでも話し合うことは遅くないのではないでしょうか。少なくとも、今、正直に話し合うことが、未来の教会を変える確かなきっかけになると思います。
おわりに
休みの最中に、少し大きな話になってしまいました。
ですが、こうして日常の職務から離れ、実家のリビングという静かな場所で一歩引いて教会を見つめる時間は、私にとっては「教会の希望」を再確認する大切なひとときでもあります。牧師が一人で背負うのではなく、皆で支え合い、共に未来を拓いていく。その可能性を信じることが、明日への活力にもなるのではないでしょうか。
教会のこれからについては、私一人だけでなく、多くの方もそれぞれの場所で考えておられることだと思います。正解は一つではないからこそ、皆さんが日頃感じていることや、それぞれの教会の取り組みなど、様々なご意見をぜひ伺ってみたいなと思っています。
さて、コーヒーをおかわりして、もう少しだけこの穏やかな「冬休み」を味わおうと思います。皆様にとっても、今日という日が健やかで、良い一日となりますように。
