毎週月曜日は、少しだけホッとする時間を過ごしています。 やはり週末は日曜日の準備で気が張っているのか、知らず知らずのうちに疲れが溜まっているのかもしれません。今日はコーヒーを片手に、近くの公園をぶらぶらと歩いてきました。

そういえば先日、慣れない調理器具を使ったせいか、人差し指の先を少し切ってしまいました。傷自体は大したことはなく、絆創膏を貼る程度の応急処置で済んだのですが、困ったのはその後のタイピングです。

不思議なもので、指先に絆創膏のわずかな厚みが加わっただけで、普段の感覚ではタイピングができなくなってしまいました。これほどまでにもどかしくなるとは。体感的には、いつもの1.5倍は作業が遅くなってしまった、そんな週末でした。

たかが指先、されど指先。 ちょっとした不自由を経験して初めて、自分の身体の各部位がいかに重宝しているか、そして健康であることがどれほど精緻なバランスの上に成り立っているかを痛感します。普段意識もしていない小さな部位にも、きっと大切な役割があるのでしょう。

指先の怪我がタイピング全体を狂わすように、小さな変化が全体に波及するという感覚は、どこか今の社会にも通じる気がします。

近いうちに選挙があるだろうと報じられています。 広大な社会という大きな「体」を前にすると、自分の一票などは、それこそ指先の小さな傷のように、あってもなくても変わらない些細なものに思えるかもしれません。

しかし、指先の小さな違和感がタイピング全体の流れを変えてしまうように、一人ひとりが投じる一票という最小単位の積み重ねが、実は社会全体の歩みを左右するものとなっていることを思います。

私たちにできることは、自分の一票を投じることだけです。 それはこの社会の中では、絆創膏一枚のような、ささやかで目立たない行為かもしれません。けれど、後から振り返ったとき、その一票の積み重なりが大きな分岐点だったと気づくことも十分にあり得ます。

「たかが一票」と軽んじるのではなく、その一票を託された責任と重み。 指先の痛みを感じながら、立てられている為政者たちのために、そしてこの国のために祈る者でありたいと思わされています。