本書を読んだ感想をまとめてみたいと思います。

まず全体を通して、湊先生のここまでの生涯におけるパッションが鮮やかに浮かび上がってくるような印象を受けました。それが『あしたは必ず来る』というタイトルにも現れているのだと思います。本書でも述べられているように、この「あした」というのは、いわゆる人間の寿命としての「明日」ではなく、死してなおも永遠のいのちが与えられるというキリスト教的な希望を込めての「あした」です。

本書の主な目的・主眼は、第2章「明治・大正・昭和をキリスト者として生きた家族たち」にあります(思われます)が、その他にも湊先生の戦時中の体験や社会に対する問題意識、また教育に携わる者としての戦後日本の教育観、また子育てなど、教えられることがたくさんありました。

本題とはそこまで関係ありませんけれども、先生が五代目のクリスチャンであるとのことで、この「〜代目」という呼称は個人的にはとても良いと思っています。昨今、カルト宗教の問題が再注目される中で、「2世」「3世」というフレーズをよく耳にするようになりました。もちろん、それぞれ異なる事情があることだとは思いますが、先祖代々信仰を継承してきたことを、喜びと誇りを持って「〜代目」と自認することは素晴らしいと思います。「世」と「代」の明確な違いはわかりませんが、個人的な印象としては、「代」の方がポジティブな印象を受けます。職人の弟子がその後を継ぐ時、そこには覚悟があり、また誇りがあり、何より自分の意思があります。そう考えると、湊先生がご自身が「五代目」であるということに、強く共感できるのです。

先生は戦後の日本で、まだ女性教育が行き届いていない時代に、勉学に励み、フルブライト奨学金を受けて(女性は3人だけ)、アメリカの大学に留学されたとのことです。当時は現代のように留学はおろか、海外にも行くことのできない時代でしたので、このことがどれだけ貴重な機会であるのかということは想像に難くありません。アメリカ社会では、これまで気づかなかったことなど、多くのことに目が開かれたことが記されていました。そして、読みながら感心したのは、ただ問題を見つけて終わりではなく、そのことに対してアクションを起こしていったということです。たとえば、クレヨンの「肌色(skin color)」について、認識を改めることになった時に、それに留まらず、クレヨンの会社に30年間も手紙を書き続けたそうです(24頁)。驚くべき行動力です。

帰国後は、様々な現場で日本の教育に携わって来られましたが、先生の教育観の根底にあるのは、やはり「人格教育」であるように思いました。本書でも繰り返し新渡戸稲造の言葉が引用されていましたが、横の関係だけではズレてしまうからこそ、縦の関係、すなわち神との関係が必要不可欠であり、それによって自己を確立することができるということ。これは現代においても非常に重要な視点だと、改めて思わされます。人と比べて、自分を卑下し、嘆いてしまいたくなることがなんと多いことでしょうか。多くの場面で、競争に勝つことが自然と刷り込まれているという現実があります。その大元を辿れば、資本主義という競争社会があるのかもしれませんが、いずれにしても、この世の社会の荒波に揉まれ、多くの人が疲弊している現実があります。そのような時代に、誰もが自己を確立することは、人生をより良く生きるために重要な事柄、喫緊の課題であるように思います。

全体を通して、教えられることがたくさんありましたが、私が感銘を受けたのは「ライフキャリア」という言葉です。キャリアを積んで、上に上に行こうとするのが当たり前の社会の中で、「金銭化される労働だけが職業であり、キャリアなのか」という湊先生の問いに私も考えさせられました。そして、先生はこのように「ライフキャリア」を定義されています。

私のライフキャリアの定義
「報酬が得られる職業に就いている時だけがキャリアではない。具体的に金銭化されない労働がある(主婦労働、ボランティア、文化形成活動、定年退職後の労働など)。各個人が全生涯にわたって形成した労働生活全体がキャリアである。」

湊晶子『あしたは必ず来る—明治から現代までのファミリーヒストリーを辿りつつ』(教文館、2025年)、30頁

もちろん、出世することが悪いということではありません。問題なのは、それがすべてだと考えることだと思います。そのような競争社会にあっては、そこから脱落した人は、失格者という烙印が押されます。しかし、改めてキャリアとは何かを考えた時に、そのような上昇志向だけがキャリアを積むことではないことは、私自身もこのような時代に生きる者として、胸に刻みたいと思います。そして、多くの人がこの理解を持つならば、自己卑下に陥ったり、あるいは人を見下したりということが、少なくなるのではないかと期待します。

本書は100ページに満たない分量ですので、読みやすいのではないでしょうか。ですがもちろん、本の良さとページ数は比例しません。簡潔さの中に、心に刺さる言葉がたくさんあります。特に先人から信仰が継承され、これからも受け継がれていくことの素晴らしさ、また日本社会における教育、生き方、子育て、人生観など、湊先生のこれまでのバイタリティー溢れる生涯からたくさん教えられることがありました。

最後に、個人的な思い出を少しだけ。私が神学校に入学する前に、湊先生の講演会に参加する機会がありました。その時、どういうわけか忘れましたが、先生と直接お話しすることができました。その際、先生にこれから神学校に入学するにあたり、何が重要ですかとお尋ねしました。すると、先生は躊躇うことなく、「語学に励むようにと」と言われました。ヘブライ語、ギリシア語、そして英語。それだけでいいからしっかり学ぶようにと。特に英語については、国会図書館で、英語のディベートを一日中聴いていればある程度は理解できるようになると、快活にアドバイスくださったことを今でもよく覚えています。そのようなことを思い出しながら、改めて本書を読んだ時に、先生がこれまでの生涯で、聖書の言葉によって育てられ歩まれてきたこと、そして海外での経験などによって裏打ちされたアドバイスであったことに気付かされました。