海が水でおおわれているように、地は主の栄光の知識で満たされるからである。
ハバクク書2章14節(口語訳聖書)
預言者ハバククが見たのは、新興国バビロンの暴力と略奪が地を覆い尽くそうとしている、絶望的な時代の光景でした。しかし、その歴史的危機のただ中で、神は「地は主の栄光の知識で満たされる」という圧倒的な約束を宣言されます。原語のヘブル語を見ると、ここには「上からすっぽりと覆い尽くす(カーサー)」と「内側から隅々まで満ちあふれる(マレー)」という二つの言葉が重ねられています。人間の暴力や絶望がどれほど世界を覆っているように見えても、最終的にこの地を完全に覆い、満たすのは「神の栄光」に他ならないという確かな宣言です。
「海が水でおおわれているように」という比喩は、その約束の避けられなさを表しています。ここで言われる「知識(ヘブル語:ダアト)」とは、単なる頭の理解ではなく、神ご自身との人格的で深い交わりを意味します。パウロは、この途方もない約束がキリストにあって実現したことを語りました。「…神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さった」(第2コリント4:6)のです。主イエスが来られたことによって、私たちが神の栄光に触れ、神と人格的に出会う道が全世界に開かれました。
この約束は、二つの意味で私たちの希望となります。一つは、新しい天と地において神の栄光が世界を完全に満たすという「終わりの日」の希望です(黙示録21:23)。そしてもう一つは、今この瞬間、困難な現実のただ中で、私たちがキリストを通してその栄光に与かることができるという「現在」の希望です。すべてを失うような状況の中で、ハバククが「しかし、わたしは主によって楽しみ、わが救の神によって喜ぶ」(3:18)と歌えたのは、この栄光の現実を見ていたからです。
今日、あなたの目の前に広がる現実はどのようなものでしょうか。困難や痛みが覆っているように見えるその場所も、やがて必ず満たされる「神の栄光」への途上にあることを、私たちはどう信じ、歩むことができるでしょうか。
