主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。

詩篇37篇3-4節(口語訳聖書)

不正な人の栄えを見ると、心が揺らぎませんか。詩篇37篇は、その揺らぎと向き合う現実的な歌です。ダビデは「悪をなす者のゆえに、心を悩ますな」(1節)と呼びかけますが、これは単なる感情の抑圧ではなく、深い認識に基づいています。ヘブライ語のחרה(ハラー)は「燃える・怒る」という激しい感情を表します。対比として「悪しき者に思い煩うな」とあるのは、彼らの繁栄に心を奪われることの危険性を指しています。なぜなら、その繁栄は刈り入れられた干し草のようにはかないからです(2節)。ダビデが強調するのは、一時的な不正の成功は真の勝利ではないということです。その一方、「主に信頼して善を行え」(3節)という命令は、悪人の栄えに対する唯一の正当な応答です。これは逃避ではなく、主の御支配を信じながら今ここに生きることの呼びかけなのです。

3節から4節への流れに注目すると、神の約束の構造が見えます。「主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる」という約束は、条件付きですが、その条件は外的な行為だけではありません。ギリシャ語ではなくヘブライ語の文脈で、「みたまえ」(עננה・アナー)は「喜ぶ・楽しむ」という意味も含みます。つまり「主のうちに喜べ」という召しなのです。詩篇36篇12節では「あなたのいつくしみのうちに、正しい者どもは浸る」とあり、主への信頼と喜びは切り離せません。興味深いことに、ダビデは「心の願い」が叶えられることを約束しますが、それは私たちの自我的な欲望の成就ではなく、主のみこころに整えられた願いの成就です。不正の栄えに惑わされない心とは、実はそうした神への信頼によって、本当に必要なものが何かが見えてくる心ではないでしょうか。

現代を生きる私たちは、ソーシャルメディアで他者の成功を常に目にしています。悪意によって得られた利益、倫理的でない手段による昇進―そうしたものが一瞬輝いて見える環境です。しかし詩篇37篇が教えるのは、そうした揺らぎの中でこそ、私たちは主に注視することが招かれているということです。キリストは「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ6:33)と約束してくださいました。この約束は、主への信頼を基軸にした人生が、実は最も充実した人生になることを指しています。あなたが今、心の願いとして抱いているものは何ですか。それが主のみこころに照らされて、形を変えていく中で、本当の喜びに出会うことはないでしょうか。主は、正直に歩もうとする私たちの心の声を聞いてくださるお方です。