岩のはざまにおり、高い所に住む者よ、あなたの心の高ぶりは、あなたを欺いた。あなたは心のうちに言う、「だれがわたしを地に引き下らせる事ができるか」。たといあなたは、わしのように高くあがり、星の間に巣を設けても、わたしはそこからあなたを引きおろすと主は言われる。
オバデヤ書1章3-4節(口語訳聖書)
南ユダ王国(エルサレム)がバビロンによって滅ぼされた際、隣国エドム(エサウの子孫)は兄弟であるユダヤの人々を裏切り、略奪に加担しました。その罪を告発するこのオバデヤ書は、エドムが滅亡する根本的な原因を「軍事力の劣勢」ではなく「心の高ぶり」に見出しています。
原語のヘブル語「ザドン(זָדוֹן)」は「傲慢さ」「意図的な反抗」を意味し、単なる誇りではなく、神に対する確信的な背きを表します。エドムは切り立った岩山の難攻不落の城塞に身を隠し、「誰が自分たちを引きずり下ろせるか」と豪語しました。そこには確かに、誰も手出しできないような地理的優位性がありました。しかし、神が見ておられた現実は異なっていたのです。
私たちも、彼らと同じ落とし穴に陥っていることがあるかもしれません。 安定した環境、確かな能力、信頼できる地位。そうした条件が揃う中で、いつのまにか「自分は大丈夫」という確信が育つことがあります。その確信は決して誤った計算ではなく、客観的な事実に基づいているのかもしれません。けれども、その「事実」が世界の全てではないという点が問題なのです。
高ぶりの本質とは、現実を読み違えることではなく、「その現実の計算の中から、神を除外してしまうこと」にあります。エドムが築いた物理的な安全保障はやがて砕かれました。それは神が理不尽に力を振るったからではなく、神を無視した判断そのものが、必然的に破綻を迎えたからです。
では、この警告から私たちは何を学ぶべきでしょうか。 それは、自らの成果や能力を正しく認めることと、それらの「源」が自分自身にあると思い込むことの違いを見分ける力です。ヤコブの手紙4章6節に「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とあるように、へりくだるとは、自分の有能性を否定することではありません。「その有能性がどこから来たのか」「誰の守りの中にあるのか」を忘れないことです。
あなたの日々の行動や決定の中に、神への信頼の座は確保されているでしょうか。信仰の深さは、困難な時だけではなく、むしろすべてが安定している時にこそ問われるのです。
