最近、トランプ大統領とモンロー主義を掛け合わせた「ドンロー主義」という言葉をニュースで耳にしました。ドナルド・トランプ氏の名と、かつてのアメリカの排他的な外交方針であるモンロー主義を合わせた造語です。自国の利益や影響力を守るために、他者に対して強い姿勢をとる。そのような事態が自然に起きている2026年の幕開けに驚きつつ、2000年前の歴史の一幕を意識しないではいられませんでした。
それは、かつてローマ帝国が築いた「パックス・ロマーナ(ローマの平和)」という時代のことです。
1. 「力」によって保たれた静寂
パックス・ロマーナは、一見すると争いのない安定した黄金時代でした。しかし、その「平和」を支えていたのは、圧倒的な武力と、逆らう者を許さない威圧による統治でした。
それは、人々が心から手を取り合った結果ではなく、力によって異論を封じ込めたことで生まれた、いわば「押し付けられた平和」だったと言えるかもしれません。外側からは平穏に見えても、その影には常に誰かの涙や、抑圧された人々の痛みがありました。
当時、皇帝は「平和」をもたらす者として称えられていました。まさに「福音(εὐαγγέλιον)」というグッドニュースは、そのような王の誕生を知らせるものだったのです。しかし、当時の皇帝アウグストゥスについて、deSilvaは『ルカの福音書』を念頭に、このように指摘しています。
In contrast to such propaganda Luke declares that the birth of Jesus truly means “good news” (euangelion) to the people of Israel and peace for all people who respond to God’s favor (Lk 2:11–14). Jesus is the genuine Savior and Benefactor of the human race. In Jesus all former hopes for a time of blessedness find fulfillment, and his provision for deliverance and wholeness makes it impossible ever to hope for better. Jesus is the one who has the message of “the good news of the kingdom of God” (Lk 4:43), the reign of peace that shows the pax Romana for what it is—in words placed on the lips of the chieftain of the British tribes, “to violence, robbery, and rapine they give the lying name of ‘government’; they create a desert and call it ‘peace’ ” (Tacitus, Agricola 30).
David A. deSilva, An Introduction to the New Testament: Contexts, Methods & Ministry Formation, Second Edition (Downers Grove, IL: IVP Academic: An Imprint of InterVarsity Press, 2018), 288.
[拙訳](皇帝は戦争を終わらせるという)そのような宣伝とは対照的に、ルカはイエスの誕生がイスラエルの民にとって真に「福音」(ユーアンゲリオン)であり、神の恵みに応えるすべての人々に平和をもたらすことを宣言している(ルカ2:11-14)。イエスは人類の本物の救い主であり恩人である。イエスにおいて、祝福された時代に対するこれまでのすべての希望が実現し、イエスが救済と完全性を備えてくださったことにより、それにまさるものを望むことはできない。イエスこそが「神の国についての良き知らせ」のメッセージを携える方であり (ルカ4:43)、すなわちローマの平和(pax Romana)の正体を暴く平和の支配を告げる方である。ブリテン族の族長の言葉によれば、「彼らは暴力、強奪、略奪に『政府』という偽りの名を与え、砂漠を作り出してそれを『平和』と呼ぶ」(タキトゥス『アグリコラ』30)。
2. 「剣を収める」という、もう一つの道
そのようなローマの支配が最も強固だった時代に、イエス・キリストは現れました。
彼が弟子たちに語ったのは、力で相手を屈服させる道ではなく、「剣を収めなさい」という言葉でした(マタイ26:52)。しかし、それは決して、悪に屈することでも、ただ無気力に耐えることでもありません。
自分たちの内側にある敵意や恐れを、勇気を持って手放すこと。 相手を「排除すべき敵」ではなく、共に生きる「隣人」として見つめ直すこと。 それは、武力による制圧よりも、はるかに困難で、同時に尊い「和解」への一歩だと言えます。
3. 平和は、私たちの手の中に
イエスは、「平和」についてこのように教えました。
9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、 彼らは神の子と呼ばれるであろう。
マタイの福音書5章9節(口語訳聖書)
平和とは、いつかどこからか自然に降ってくるものではなく、私たちが日々の生活の中で、意識的に「つくり出す」ものなのだと教えられます。
もちろん、今の世界が抱える大きな問題を、個人の力で解決するのは容易なことではありません。しかし、平和の種は、私たちの身近な場所にも蒔かれているようにも思います。
- 誰かとの間にある誤解を、対話で解こうとすること。
- 自分とは違う考えを持つ人を、まずは受け入れようとすること。
- 憎しみの言葉ではなく、労いの言葉を選び取ること。
たとえ小さく、目立たない一歩であっても、私たちが「平和を選び続ける」とき、そこに本物の光が差し込むのだと信じています。
おわりに
パックス・ロマーナのような「力による平和」ではなく、互いを尊重し合う「本物の平和」を。 大きなニュースに心を痛める今日この頃ですが、だからこそ、まずは自分の足元から、小さな平和を一つずつ形にしていきたいと願っています。
