昨日の記事でご紹介した、村岡崇光先生の著書『聖書を原語で読んでみてはじめてわかること』。
そこで語られた「前置詞一つでタマルの評価が180度変わった」というエピソードは、多くの読者にとって驚きだったのではないでしょうか。
「専門家だから見える景色があるのはわかる。でも、自分には原語なんて……」
そんな時こそ、聖書研究ソフト「Logos」の出番です。今日は、村岡先生がその目で捉えた「原語の風景」を、デジタルツールの力を使って私たちの手元に再現する方法をご紹介します。
1.インターリニア機能(Interlinear)
まずは、創世記38章18節を開きます。ここで使う機能が「インターリニア」です。
これは、翻訳聖書の下に、対応するヘブル語やギリシア語を並置して表示させる機能です。これを使えば、原語と対応している語がどれか一目瞭然です。

上記の画像において、注目している前置詞「by」が、原語のヘブル語「לֹֽ」に対応していることがわかるかと思います。
Logosには日本語訳聖書は実装されていないので、英語で調べるというのが原則になるのですが、日本語訳聖書では「によって」と訳されているのが、英語では「by」に相当するというのは、英語に明るくなくてもわかることだと思いますので、心配ご無用です。
2. 前置詞「לֹֽ」の意味を確認する
問題の箇所、「彼女はユダによってみごもった」に注目してみましょう。「によって」に相当するという言葉は前置詞「לֹֽ」であることは、先ほど確認済みです。
そして、ここが運命の分かれ道です。もし、単なる手段や原因としての「〜によって」であれば、別の言葉(מן など)が使われるのが一般的です。しかし、そこに記されていたのは、方向や目的、つまり英語の「to」や「for」に相当する基本的な前置詞 ל であることがわかります。
3. 「ワードスタディ」で深掘りする
さらに確信を得るために、「Bible Word Study」を立ち上げます。この前置詞 ל が聖書全体でどう使われているかをグラフ化してみましょう。

対象の語を右クリック。次に、Bible Word Study。

すると、前置詞「לֹֽ」が聖書中で、どのような用法で、どれくらい使われているのかが一目瞭然で示されます。そして、その大半が、「to」や「for」であることがわかります。
村岡先生が「ヘブライ語初級の学生にも自明のこと」と仰ったその根拠を、私たちはクリック一つで目の当たりにすることができるのです。
4. 翻訳を「比較」する
最後に、「Text Comparison(翻訳比較)」機能を使ってみましょう。

ここでは、いくつか適当な聖書翻訳をピックアップしました。あいにく、日本語訳聖書がないのは残念なのですが、このように比較すると、その違いが一目瞭然です。
ただ、今回注目している前置詞「לֹֽ」は、どの翻訳でも一様に「by」と訳しています。そう考えますと、村岡先生の指摘は画期的であったと言えるのではないかと思います。
一応、なぜ「by(〜によって」という翻訳が支配的なのかということも触れておきたいと思いますが、おそらく、七十人約聖書の影響ではないかと思われます。
上記の翻訳比較で、LXX(七十人訳)も載せていますけれども、そこではヘブル語の前置詞「לֹֽ」は、「ἐξ(ἐκ)」と訳されています。村岡先生も七十人訳聖書は最古の注解書だとおっしゃっておられましたけれども、このギリシア語「ἐκ」は、「by」の意味はあっても、「for」の意味はありません。ギリシア語でforは基本的には「ὑπέρ」です。そういったことを鑑みて、多くの翻訳聖書では、「by(によって)」と解釈されているのだと思われます。
まとめ
かつて、こうした「発見」は、分厚い辞書と文法書を何冊もひっくり返し、何時間もかけてようやく辿り着ける聖域のようなものだったはずです。
しかし今は、テクノロジーがその「作業」の大部分を肩代わりしてくれます。Logosのようなツールを使う最大のメリットは、本来、私たちが時間をかけなければ辿り着けないところに、最短距離で到達できることだと私は思います。
そして、このツールは一部の研究者の専売特許ではなく、すべての人に開かれているものです。誰でも、ミクロなことからマクロなことまで、自由に大胆に研究、調べ物ができるのです。
もちろん、ゼロから何かを発見しようとする必要はないと思います。今回のように、学者が言っていることは本当にそうなのかと確かめることも意味のあることだと思います。そして、実際調べたら「その通りだ」と思うこともあれば、「ちょっと待てよ」と思うこともあるわけです。
そのような使い方をしてみるのはいかがでしょうか。
ぼくどくノート
最近、AIを筆頭にデジタルツールの発展が目覚ましいですね。これが、牧師の働きにどのような影響が出てくるのか。なんとなく見え始めています。
かつて、マンガ業界にペンタブが登場した時、多くの作家さんは、「これで仕事が捗る」と思ったそうです。ですが、現実はと言えば、より精密な作業ができることによって、作業量は減るどころか増えていきました。
同じことが、牧師の働きにも起きるような気がします。
ですが、個人的には、それは嬉しいことです。はっきり言って、毎週の説教を準備するのに、人間的な力だけで調べるのは限界があります。もちろん、デジタルツールを活用しても限界はあります。それでも、「もっとあれやこれも調べたかったな」というのが格段に減るというのは、個人的にはありがたいです。
ただ、デジタルツールを使うことが「全て」であり、また「最適」だと言いたいわけではありません。使っていればいいとか、使っていなければ時代遅れとか、そういうことにはならないと思います。なんと言っても、古代の神学者たちはデジタルツールなどは使わずに、比類なき文献を残しているのですから!
