はじめに——マルコを「使った」福音書
前回の記事では、共観福音書とは何か、そしてマルコ福音書の著者と成立年代をめぐる議論を見てきました。多くの学者が支持する二資料仮説によれば、マタイとルカはそれぞれマルコ福音書を資料の一つとして使いながら、自分たちの福音書を書いたとされています。今回はその二つ——マタイ福音書とルカ福音書——の著者と成立年代の問題を考えてみましょう。
マタイ福音書の著者——伝統的見解
伝統的な教会の立場では、マタイ福音書は十二使徒の一人であるマタイ(別名レビ、マルコ2章14節)が書いたとされています。この伝承もパピアスの証言にさかのぼります。エウセビオスの『教会史』に引用されたパピアスの言葉によれば、「マタイはヘブライ語で神託をまとめた」とされています。
保守的な聖書学者たちはこの証言を重視し、イエスの直弟子であるマタイが著者であるという立場を支持します。徴税人であったマタイが数字や記録に慣れていたことも、福音書執筆の背景として指摘されることがあります。
マタイ福音書の著者——批判的学者の見解
批判的な学者たちは、使徒マタイが著者であることにいくつかの疑問を呈します。
最も広く知られた論点は、「イエスの直弟子であるマタイが、なぜマルコを資料として使う必要があったのか」というものです。マルコはペテロの通訳者であり、イエスの直弟子ではありません。目撃者であるマタイがわざわざ非目撃者の記録に依拠するのは不自然ではないか、というわけです。
もう一つの論点が、旧約聖書の引用問題です。マタイ福音書には「成就引用」と呼ばれる定型句が繰り返し登場し、ヘブライ語原典とギリシャ語訳聖書(七十人訳、LXX)を巧みに使い分けています。これは相当高度な聖書解釈の訓練を受けた人物でなければ書けないのではないか、と批判的学者たちは指摘します。この流れから、著者はユダヤ教的な聖書解釈に精通した「キリスト者の律法学者」だったのではないか、という説も提唱されています。
マタイ福音書の成立年代
伝統的な見解では、マタイ福音書は60〜70年代に書かれたと考えます。使徒マタイが著者であれば、この時期が自然な候補となります。
批判的な学者の多くは、80〜90年代を想定します。二資料仮説においてマタイはマルコを使ったとされており、マルコが70年前後に書かれたとすれば、マタイはそれ以降になります。またマタイ福音書には、70年のエルサレム神殿崩壊を踏まえたと思われる記述があるとも指摘されます。
ルカ福音書の著者——伝統的見解
伝統的な立場では、ルカ福音書はパウロの同伴者であるルカ(コロサイ4章14節など)が書いたとされています。この伝承は2世紀の教父たちによって広く共有されており、ムラトリ正典表(2世紀後半)にも記されています。
保守的な学者たちは、ルカ福音書と使徒行伝が同一著者によるものだという点(ルカ1章1〜4節、使徒行伝1章1〜2節)を重視します。使徒行伝の中には「私たち」という一人称複数が突然登場する箇所があり(「われわれ箇所」と呼ばれます)、これは著者がパウロの旅に同行していた証拠ではないか、と考えます。
ルカ福音書の著者——批判的学者の見解
批判的な学者たちも、ルカ福音書と使徒行伝が同一著者によるものだという点はおおむね認めます。しかしその著者がパウロの同伴者ルカであるかどうかについては懐疑的です。
「われわれ箇所」についても、これは著者がパウロの同伴者であった証拠ではなく、旅行記という文学形式において一人称複数を使うのは当時の慣習だった、という反論があります。また使徒行伝に描かれたパウロの神学が、パウロ書簡のパウロの神学と必ずしも一致しない点も指摘されます。
ルカ福音書の成立年代——使徒行伝との関係
ルカ福音書の成立年代をめぐる議論で特に興味深いのが、使徒行伝の結末の問題です。使徒行伝はパウロがローマで軟禁状態にあるところで唐突に終わっており、パウロの死について何も触れていません。パウロが殉教したのは60年代後半とされています。
この事実をめぐって、学者たちの解釈は大きく二つに分かれます。保守的な学者たちは、使徒行伝がパウロの死より前に書かれたからこそ死に触れていないのだ、と考えます。つまりルカ・使徒行伝は60年代初頭に書かれた、という結論になります。
一方、批判的な学者たちは、著者がパウロの死を知りながらあえて書かなかった、あるいは神学的な理由で結末をそこに置いた、と解釈します。この立場では、ルカ・使徒行伝は80〜90年代の成立となります。どちらの解釈が正しいかは、テキストだけからは確定できません。これもまた、現在も議論が続いているテーマの一つです。
学者の議論をどう受け止めるか
マタイ福音書もルカ福音書も、著者と成立年代について確定的な結論は出ていません。特に今回見てきたように、同じテキストの「沈黙」——使徒行伝がパウロの死に触れていないこと——が、まったく逆の結論を導くことがあります。これは聖書の解釈がいかに前提や視点と深く結びついているかを示しています。
学者たちの議論は、私たちに「自分はどのような前提でテキストを読んでいるか」を問い返す機会を与えてくれます。著者や年代が確定しなくても、マタイとルカが伝えるイエス・キリストの姿は変わりません。その確かさを土台にしながら、問いを持ち続けることを恐れない姿勢が大切だと思います。
さらに学びたい方へ
参考文献については第一回の記事をご参照ください。今後、このテーマに関連する良書を見つけ次第、随時追記していく予定です。
