聖書の全体像(物語という視点から)

聖書
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近年、聖書の全体像に関する本が増えているように思いますが、その多くには「物語」というフレーズがタイトルに使われています。いくつか例を挙げますと…マイケル・ロダール、大頭 眞一訳『神の物語/The Story of God: A Narrative Theology』(2011年、原著は2008年)、ヴォーン・ロバーツ、山﨑ランサム和彦訳『聖書の全体像がわかる神の大いなる物語/God’s Big Picture』(2016年、原著は2002年)、鎌野直人『聖書六十六巻を貫く一つの物語—神の壮大な計画』(2021年)、J. ゴールディンゲイ、本多峰子訳『神の物語としての聖書/A Reader’s Guide to the Bible』(2022年、原著は2017年)など。

一昔前までは、教会内で「物語」というワードは不人気であったように思われます。というのも、日本語で「物語」というのは「作り話」というニュアンスで使われることが多いからです。ですので、そのような誤解を避けるために、「ストーリー(story)」としての物語ではなく、「ナラティブ(narrative)」としての物語が強調されることがあります。

それでは、ナラティブとストーリーの違いは何かということになりますが、個人的に調べる限りでは、両者の違いを明確に区別しているものは見当たりませんでした。例えば、Oxford Learner’s Dictionaries を見ても、ナラティブはストーリーの類語ではあるけれども、その違いは明記されていません。ですので、基本的には両者は置換可能な言葉なのだろうと思います。ですが、やはりストーリーには「作り話」といったニュアンスが含まれることがあり得るので、それを避けるためにナラティブが好んで用いられているのではないかと、推察します。

その例として、「ナラティブ(narrative)」という言葉が、「ナレーター(narrator)」という言葉と同じ語源を持つことが挙げられるかと思います。ナレーターというのは、まさにシンプルに「語る人」のことですけれども、その点、ストーリーを語る人は「ストーリーテラー(storyteller)」という言葉があります。これは、単に語るというよりも、作り話を語るというニュアンスが前面に出ているものと思われます。

これは余談ですが、インターネットで少し調べてみても、聖書と関係なく、「ストーリー」と「ナラティブ」の違いについて説明しているサイトが多いことがわかります。昨今は、あらゆる分野でナラティブがクローズアップされているようです。あるサイトでは、両者の違いについてこのように説明していました。

ストーリーには決められた「脚本」があり、主人公や登場人物主体で物語が進みますよね。一方のナラティブは、語り手自身が主人公。用意された脚本はなく、語り手が現在進行形で自由に物語を紡いでいくことができます。

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聖書の全体像を「物語」として理解することは、聖書を単に知識を得るために読むという極端な読み方を避けるために有益です。聖書は、単なるイスラエル民族の歴史を語っているのではなく、この世界がどこからどこへ向かっているのか、その一部である人間にはどのような役割があるのか、そのような神の壮大な物語の中に、人間が生かされていることを教えています。ですので、聖書は単なるありがたい言葉や励まし、慰めの言葉を集めたものではなく(もちろん、それも含まれますが)、聖書全体はこの世界そのものについて語っていて、それはすなわち、そのような壮大な神の物語の中に私たちもまた生かされている(それも重要な務めが与えれれている)ことを教えているということです。

もしも、聖書が個人的な救いのことしか語っていなかったら、周囲の人との関係や、ましてやこの世界のことは、私たち一人一人とは全く関係ないものとなってしまいます。ですが、物語という視点から聖書を読む場合、神によって始められたこの世界が、どこに向かっていて、その中で私たち人間にはどのような役割、生き方が期待されているのかがわかってくるのではないかと思います。

「物語」という言葉に、抵抗がある方もおられるかもしれませんが、このような背景があることを踏まえるなら、新しい視点で聖書を読むことができるのではないかと思います。

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