はじめに:二つの立場と「真筆性」の意味

パウロ書簡の真筆性をめぐる議論には、大きく分けて二つの学問的立場があります。

批判的聖書学(歴史批評)の立場は、文体・語彙・神学・歴史的状況などを精査し、13書簡のうちいくつかはパウロ以外の人物による著作(偽名書簡)ではないかと論じます。18世紀末以降に発展した方法論であり、今日の多くの学術的注解書・概論書はこの立場を前提としています。

保守的聖書学の立場は、教会の伝統的理解を重視しつつ、批判的聖書学の提示する問題に対して文献学的・神学的な応答を行い、パウロの真筆性を積極的に論証します。福音派を中心に、N.T. Wright、Luke Timothy Johnson、I.H. Marshall、Stanley Porterなど一流の聖書学者がこの立場から研究を積み重ねています。

両立場は「どちらが正しいか」という単純な対立ではなく、証拠の解釈の重み付けや前提とする方法論の違いから生じています。それぞれの立場に誠実な学術的根拠があり、どちらも軽視することはできません。本稿はその議論を公平に紹介することを目的としています。

もっとも、近年では以前よりもパウロの真筆性はそこまで問題とはされていないという現状もあります。そのことについては、過去の記事をご参照ください。パウロ研究は『5つの視点』の時代へ —『The State of Pauline Studies』から学ぶ最先端

なお、パウロの真筆性に関する議論の前提としてひとつ確認しておきたいことがあります。それは、パウロが手紙を「自らの手で書いた」わけではないことが広く認められているということです。ローマ16:22には「この手紙を筆記したわたしテルテオも…」とあり、書記(アマヌエンシス)の使用が確認できます。パウロはガラテヤ6:11で「わたし自身いま筆をとって、こんなに大きい字で、あなたがたに書いている」と特記していますが、これは例外的な状況です。したがって「真筆性」の問いは、「パウロが物理的に筆を執ったか」ではなく「パウロが著者として関与したか」「その思想・権威を背景に書かれたか」という問いとして理解する必要があります。

第一グループ:真筆書簡(両立場ともに認める7書)

この7書については、批判的聖書学・保守的聖書学を問わず、ほぼ全学者がパウロの真筆と認めています。批判的聖書学が教会の伝承を認める例のほぼすべてがここに集中しており、これらがパウロの著作であることは現代聖書学の数少ない共通理解の一つと言えるでしょう。


1. ローマ人への手紙

真筆性の評価: 両立場ともにほぼ全学者が真筆と認めています。

真筆性を支持する根拠

パウロ神学の集大成として、律法・信仰・義認・アダムとキリストといった主題が、ガラテヤ・コリントと高い一貫性を示しています。計量文体論的分析(Savoy 2019のPCA分析、Roy & Robertson 2023のコサイン類似度分析)でも真筆書簡と同一クラスターに分類されます。2世紀初頭から教会で広く読まれ、クレメンス、イグナティウスらが引用しています。

補足:計量文体論的分析について

本稿では「計量文体論的分析」という言葉が登場します。これは文章の「癖」をコンピュータで数値化し、著者を特定しようとする研究分野です。ここで簡単に説明しておきます。

どんな分析なのか

単語の使用頻度・文の長さ・接続詞のパターンなどを数値化して、書簡どうしの「似ている度合い」を客観的に測定します。人間が「なんとなくパウロっぽい」と感じる印象を、数値として可視化しようという試みです。

本稿で言及した研究では以下の手法が使われています。

Savoy(2019)の階層的クラスタリングは、Burrows’ DeltaとLabbéの距離指標という二つの計量的手法を組み合わせ、文体的に似た書簡同士をグループ化する手法です。この分析では、書簡が以下の四つのクラスターに分類されました。

  • 真筆グループ:ローマ、ガラテヤ、Ⅰ・Ⅱコリント
  • やや独立したグループ:Ⅰ・Ⅱテサロニケ
  • 非パウロ的グループ①:コロサイ+エフェソ(同一著者と示唆されるが、パウロではないとされる)
  • 非パウロ的グループ②:Ⅰ・Ⅱテモテ+テトス(同様)
  • フィレモン:388語と短すぎるため判定困難

Roy & Robertson(2023)のコサイン類似度分析は、二つの文書がどれだけ似ているかを0〜1の数値で表す手法です。真筆書簡同士は高い類似度を示し、牧会書簡などは相対的に低い値を示したとされています。

論文へのアクセス

どちらも英語ですが、無料でアクセスできます。

この分析の限界について

ただし、これらの分析を「真筆性の決定打」として受け取ることには注意が必要です。

Savoy自身が論文中で明記しているように、パウロ書簡は14書簡のうち10書簡が5,000語以下と短く、統計的に安定した結論を出すにはサンプルが少ないという根本的な限界があります。ピレモン書(388語)のように、短すぎて判定自体が困難な書簡もあります。また、同一の著者であっても、状況・主題・書記の違いによって文体は変わりえます。数値的な差異が「別の著者」を意味するのか、「同一著者の状況的変化」を意味するのかは、数値だけからは判断できません。

これらの計量分析は、従来の文献学的・神学的な議論を補強する一材料として位置づけるのが適切です。「コンピュータ分析でもこういう傾向が確認されている」という補助的な証拠として理解してください。

議論が残る箇所

16章全体(特に16:17-20)は後代の付加の可能性が指摘されることがあります。また、一部の写本(P46など)では締めくくりの頌栄(16:25-27)が16章末尾ではなく15:33の直後に置かれており、ローマ書が当初は15章で終わる短縮版として複数教会に回覧されていた可能性が論じられています。さらに1:7と1:15で「ローマで」という語を欠く写本も存在します。ただしこれらはいずれも真筆性ではなく編集史の問題です。

執筆年代(通説): 紀元56〜58年頃、コリントにて。

📖 確認してみよう

P46でローマ書の頌栄の位置を確認する
NT Virtual Manuscript Room(https://ntvmr.uni-muenster.de/)でP46を閲覧するには、写本番号「46」で検索します(グレゴリー=アーランド番号)。ローマ書の該当ページを開くと、頌栄(16:25-27)が15章の末尾付近に置かれているページ配列を確認できます。ただ、翻訳聖書と異なり「節」番号はないため、文字で確認する必要があります。ここが少し難しいのと、写本を読み込むため、操作感は少し重たい印象です。ちなみに、上から10行目の真ん中あたり。15章33節の最後の「ἀμήν」と16章25節の最初の「Τῷ」が繋がっていることがかろうじて確認できます。


2. コリント人への手紙第一

真筆性の評価: 両立場ともにほぼ全学者が真筆と認めています。

真筆性を支持する根拠

神学的主題(聖霊・復活・主の晩餐・愛)がガラテヤやローマと一貫しています。復活に関する15章の議論は、「わたしが受けたものをあなたがたに伝えた」(15:3)という形で初期の信仰告白を引用しており、パウロ書簡の中でも最も古い層の伝承を保存しています。文体・語彙も真筆書簡の特徴を備えています。

議論が残る箇所

14:34-35(「女性は教会で黙っていなさい」)は後代の挿入句(interpolation)ではないかという議論が続いています。一部の写本ではこの箇所が40節の後に置かれており、位置が不安定なことが挿入説の根拠となります。保守的な立場はこれをパウロ真筆とし、文脈の中で解釈します。書簡全体が複数の手紙の編集物である可能性も指摘されていますが、すべてパウロ真筆との見方は両立場に共通しています。

執筆年代(通説): 紀元54〜55年頃、エペソにて。

📖 確認してみよう

Ⅰコリント14:34-35の写本上の位置を確認する
Codex Sinaiticus(https://codexsinaiticus.org/en/)でⅠコリント14章を開くと、34-35節が33節の直後に置かれているのを確認できます。これが写本の標準的な配置です。34-35節の位置をめぐる写本上の議論については、B.M.メツガー・B.D.アーマン、橋本滋男・前川裕訳『増補改訂版 新約聖書の本文研究 伝達・改悪・回復』(日本キリスト教団出版局、2025年)、320頁でも言及されています。


3. コリント人への手紙第二

真筆性の評価: 両立場ともに真筆と認めています。ただし現在の形が複数書簡の編集物である可能性が広く議論されています。

真筆性を支持する根拠

文体・語彙は第一コリントと一貫しており、真筆書簡の特徴を備えています。パウロの使徒性の弁護(10〜13章)は、一人称の強烈な自伝的記述を含んでおり、偽名著者が書いたとは考えにくい力強さがあります。

議論が残る箇所

10〜13章は1〜9章と文体・トーンが著しく異なります。多くの研究者はこれを別の機会に書かれた「涙の手紙」(Ⅱコリ2:4)の断片と見ますが、保守的な立場は一つの書簡内でのパウロの感情的変化として説明します。すべての断片がパウロの真筆であるという点では両立場が一致しています。

執筆年代(通説): 紀元55〜57年頃、マケドニアにて。

📖 確認してみよう

Ⅱコリントのテキストをチェスター・ビーティ写本(P46)で見る
NT Virtual Manuscript Room(https://ntvmr.uni-muenster.de/)でP46を閲覧するには、写本番号「46」で検索します。P46は現存する最古のパウロ書簡写本(紀元175〜225年頃)であり、書簡の配列・内容を自分の目で確認できます。


4. ガラテヤ人への手紙

真筆性の評価: 両立場ともにほぼ全学者が真筆と認めています。

真筆性を支持する根拠

律法と福音の関係、「信仰による義認」という中心主題がローマ書と高い一貫性を示しています。1〜2章にはパウロ自身の回心・エルサレム訪問・アンティオキア事件が自伝的に記述されており、史料的価値が高いです。6:11「こんなに大きい字で、あなたがたに書いている」は、書記を使う通常の慣行に対してここだけは自筆で書いたという宣言であり、著者の当事者性を強く示しています。計量文体論でも一貫して真筆書簡のクラスターに分類されます。

執筆年代(通説): 紀元48〜55年頃(南ガラテヤ説と北ガラテヤ説で幅があります)。


5. ピリピ人への手紙

真筆性の評価: 両立場ともに真筆と認めています。複数書簡の編集可能性については議論があります。

真筆性を支持する根拠

文体・語彙は真筆書簡と一致し、獄中という状況描写も一貫しています(1:13-14)。2:6-11の『キリスト賛歌』は初期キリスト教の賛美歌の引用と見られており、パウロが既存の伝承を神学的文脈で用いる通常のスタイルと整合します。ピリピ教会との個人的関係が丁寧に描かれており、偽名著者には書きにくい具体的な親密さがあります。

議論が残る箇所

3:2以降のトーンの急変(「犬どもに気をつけなさい」)から、複数の手紙の編集物という説があります。保守的な立場はこれを同一手紙内でのパウロの自然な切り替えとして理解します。

執筆年代(通説): 紀元54〜62年頃(ローマ説、エフェソ説、カイサリア説あり)。


6. テサロニケ人への手紙第一

真筆性の評価: 両立場ともにほぼ全学者が真筆と認めています。

真筆性を支持する根拠

文体・語彙・神学(終末論、パルーシアへの期待)が初期パウロ神学と整合します。新約聖書中最古の文書の一つであり(紀元50〜51年頃)、初期キリスト教の生の声を伝える第一級の史料です。使徒言行録17〜18章の状況と内容が対応しており、歴史的信頼性が高いです。

議論が残る箇所

2:14-16(ユダヤ人批判の箇所)は、内容の激しさと使徒言行録の描くパウロ像との差異から後代の挿入句ではないかという議論があります。しかし多数説(保守・批判的双方)は原文の一部と見ています。

執筆年代(通説): 紀元50〜51年頃、コリントにて。


7. ピレモンへの手紙

真筆性の評価: 両立場ともに全学者が真筆と認めています。

真筆性を支持する根拠

コロサイ書と同名の人物(オネシモ、アルキポ、アリスタルコ等)が登場し、同一状況下での著作を示唆します。逃亡奴隷の扱いをめぐるパウロの繊細な外交的文章は、偽名著者が想定しにくい具体的な人間関係を前提としています。文体・語彙・状況描写は真筆書簡と完全に一致します。コロサイ書との人名の一致は、コロサイ書の著者性議論においても重要な参照点となります。

執筆年代(通説): 紀元54〜62年頃(獄中書簡)。

第二グループ:議論が大きく分かれる書簡

8. コロサイ人への手紙

真筆性の評価: 学者の間でも意見が大きく分かれており、真筆か偽名書簡かについて明確なコンセンサスはありません。保守的な学者の多くは真筆と見ています。

真筆性を支持する根拠

ピレモン書との人名の一致(オネシモ、アルキポ、アリスタルコ、マルコ等)は、偽名著者がフィレモン書を参照して人名を借用したとするよりも、同一状況下での著作と見る方が自然という議論があります。保守的な聖書学者(O’Brien、Moo、Wright等)は、文体・神学の変化をアマヌエンシスへの裁量の拡大、あるいは異端反駁という特殊な状況による自然な発展として説明します。N.T. Wrightはコロサイ書のキリスト論をパウロ神学の一貫した展開として高く評価しています。2世紀初頭の教父文献(イグナティウス等)はコロサイ書をパウロ著として引用しています。

疑問を示すデータ

語彙の問題として、新約聖書全体でここにしか登場しない語(ハパックス・レゴメノン)の数が真筆書簡の平均を上回るとされており、「律法」「義」「救い」など真筆書簡の特徴的語彙が欠落しています。神学的には終末論が「実現した終末論」的色彩を持ち、コロサイ2:12では信者がすでにキリストとともに復活したと述べられていますが、ローマ6:4-5では復活はまだ未来のこととして描かれています。教会論でも、コロサイはキリストを教会の「頭」とする超越的記述(コロ1:18)が真筆書簡とは異なる印象を与えます。

執筆年代(通説):
真筆とすれば60〜62年頃(獄中書簡)。偽名とすれば80〜90年代頃。


2024年AIによる計量分析

BiLSTMによる深層学習分析ではコロサイのテキストはパウロ的と分類される傾向が示されました(HIPHIL Novum 2024)。ただし研究者は過信を戒めています。

■ どんな研究? 研究チームは、「BiLSTM」という自然言語の文脈を読み解くのに優れたAIモデルを使用。パウロの「真筆(誰もが認める手紙)」と「パウロ以外のテキスト」をAIに学習させました。その上で、著者がパウロ本人かどうか議論が分かれている7つの手紙を約100語のブロックに分割し、AIに判定させました。

■ 分析結果 AIが導き出した「パウロ度」の判定は、以下の通りです。

  • 大部分がパウロ的(Pauline): コロサイ人への手紙、テサロニケ人への手紙第二
  • 大部分が非パウロ的(Non-Pauline): ヘブル人への手紙、テモテへの手紙第一
  • 判定保留(判断が割れたもの): テトスへの手紙、テモテへの第二の手紙、エペソ人への手紙

■ この結果をどう受け止めるか コロサイ書が「パウロ的」と分類されたことは、伝統的な立場を支持する非常に興味深いデータです。 しかし、早急に結論を出すのは慎重になるべきです。論文の著者も指摘するように、この結果だけで結論を出すことはできません。なぜなら、パウロが「代筆者(書記)」を用いていた可能性や、弟子たちとの共同作業といった、当時の手紙執筆の「泥臭いプロセス」までは、AIのデータだけでは測りきれないからです。

🔗 参考論文(オープンアクセスで全文読めます) Evy Beijen, Rianne de Heide (2025). “Authorship Verification of the Disputed Pauline Letters through Deep Learning.” HIPHIL Novum, 10(1), 22-39.https://tidsskrift.dk/hiphilnovum/article/view/147482


9. テサロニケ人への手紙第二

真筆性の評価: 批判的聖書学者の間でほぼ50対50です。保守的な学者の多くは真筆と見ています。

真筆性を支持する根拠

第一テサロニケへの誤解(再臨が近い)を訂正する書簡として理解すれば、時期・内容ともに整合します。保守的な学者(Frame、Morris、Green等)は、第一テサロニケとの終末論的差異を、異なる状況(危機の深刻化)への応答として自然に説明します。3:17「ここでパウロ自身が、手ずからあいさつを書く。これは、わたしのどの手紙にも書く印である。わたしは、このように書く。」という記述は、真筆であることを直接示すものとして重く受け止められます。

疑問を示すデータ

第一テサロニケとの終末論的矛盾が最大の問題点です。第一テサロニケでは主の日は「突然に」「盗人のように」来ると言いますが(5:2)、第二テサロニケでは「まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない」という前兆論を展開しており(2:3)、終末理解の構造が異なります。書簡全体の構造・表現が第一テサロニケを忠実に模倣しているため、後代の模倣作品ではないかという指摘もあります。また2:2で「私たちから出たかのような手紙」という偽書への警告があること自体を偽書の証拠とする議論も存在します(逆説的に)。

執筆年代(通説):
真筆とすれば51〜52年頃(テサロニケ一の直後)。偽名とすれば90年代頃。

第三グループ:偽名書簡とする見方が多数派

この4書(エペソ、テモテ第一・第二、テトス)については、批判的聖書学の多数派が偽名書簡と見ますが、保守的な聖書学者は真筆を積極的に論証しています。両立場の主張を見ていきます。


10. エペソ人への手紙

真筆性の評価: これまで、批判的な聖書学者の間では「パウロの死後に弟子が書いた(偽名書簡)とする見方が大半(約70〜80%)」というのが通説でした。しかし、新約聖書学者B.ロングネッカーによる2024年の最新調査では、「約65%の学者が、パウロが執筆に何らかの形で関与していると回答した」という注目すべき結果が出ており、パウロの関与を重く見る見方が再評価されています。

補足

アンケートの選択肢は単純な「書いた/書いていない」ではなく、代筆者(アマヌエンシス)の存在や共同執筆を考慮して「ある程度関与している(Somewhat Involved)」というグラデーションのある選択肢が用意されました。これが、保守派と批判派の溝を埋め、「実は多くの学者がパウロの何らかの関与を認めている」という実態を浮き彫りにした画期的な調査となっています。

The Sacred Page:「The 2024 Survey of Pauline Scholars」 
(マイケル・パトリック・バーバー博士による解説記事/2024年12月13日公開)
https://thesacredpage.com/2024/12/13/the-2024-survey-of-pauline-scholars/

真筆性を支持する根拠

2世紀の教父たち(イレナエウス、テルトゥリアヌス、クレメンス等)が一貫してパウロ著としており、教会の伝承は非常に明確です。保守的な学者(Arnold、Hoehner等)は、コロサイとの類似を「同一著者の親しい反復」として説明し、宛先の問題は回覧書簡という理解で解消できると論じます。書簡の神学(和解・教会論)は真筆書簡の発展形として一貫した解釈が可能という立場もあります。

疑問を示すデータ

語彙の問題として、新約聖書中ここにしか登場しない語が真筆書簡と比べて多く含まれており、真筆書簡に頻出する「律法」「義」「血」などの語彙がほとんど使われていません。文体の問題として、文章が極端に長い傾向があり、接続詞の使用パターンも真筆書簡と異なると指摘されています。宛先の問題として、最古の重要写本(P46、シナイ写本、ヴァティカン写本)に「エペソにいる」という語句が存在しません。教会論的には、教会が「使徒と預言者の基礎の上に」建てられると述べる(エペ2:20)点が、真筆書簡(Ⅰコリ3:11「基礎はキリスト」)と異なります。

執筆年代(通説):
真筆とすれば60〜62年頃(獄中書簡)。偽名とすれば80〜95年頃。

📖 確認してみよう

エペソ1:1「エペソにいる」の欠落を写本で確認する
これは最もわかりやすい実例の一つです。Codex Sinaiticus(https://codexsinaiticus.org/en)でエペソ1章1節を開いてみてください。現代の聖書には「エペソにいる聖なる者たちへ」とありますが、このシナイ写本では「ἐν Ἐφέσῳ(エペソにおいて)」という語句が存在しません。ちなみに、この点はNA28のテキストですでに[ἐν Ἐφέσῳ]として反映されています。


11. テモテへの手紙第一

真筆性の評価: 批判的聖書学では約80〜85%が偽名とします。保守的な学者は真筆を論証しています。牧会書簡3通の中で最も強く疑われる書簡の一つです。

真筆性を支持する根拠

保守的な学者(Knight、Mounce、Johnson等)は、語彙の差異を書記への裁量の拡大で説明するアマヌエンシス仮説を採用します。「語彙の違いは状況・主題の変化の範囲内」という反論は福音派の立場から広く提示されています。また、テモテ・テトスという実在の人物への手紙という具体的状況は偽名著者が作り上げるには細部が多すぎるという議論もあります。Luke Timothy Johnsonは牧会書簡の真筆性を積極的に論証した重要な注解書を著しています(Anchor Bible Commentary)。

疑問を示すデータ

牧会書簡全体(Ⅰ・Ⅱテモテ、テトス)には、新約聖書の他の書に登場しない語が多数含まれており、そのうち多くが1世紀後半〜2世紀初頭の用例に一致することをP.N.ハリソン(1921)が古典的研究において示しました。「健全な教え」「敬虔」「知識」といった定型句が多用され、真筆書簡の「義認」「十字架」「霊」が背景に退いています。マルキオン(2世紀)のパウロ正典に牧会書簡が含まれておらず、これをマルキオンが意図的に除外したとも、マルキオンの時代にはまだ存在していなかったとも解釈できます。テモテへの命令(エペソにとどまるよう)が使徒言行録の記述と整合しない点も指摘されています。

執筆年代(通説):
真筆とすれば63〜66年頃。偽名とすれば90〜110年頃。

📖 確認してみよう

テモテ一の語彙をほかのパウロ書簡と比較する
Codex Sinaiticus(https://codexsinaiticus.org/)でテモテ一と、同じくパウロが個人へ語りかけるフィレモン書を比較して読んでみてください。文体・温かみ・語彙の印象の違いを自分の感覚で感じ取ることができます。より専門的な語彙比較には Papyri.info(https://papyri.info/)でギリシャ語単語の用例を検索する方法もあります。


12. テモテへの手紙二

真筆性の評価: 批判的聖書学では約80%が偽名とします。牧会書簡の中では真筆の可能性が最も残るとされる傾向があります。保守的な学者は真筆と見ています。

真筆性を支持する根拠

4:6-8(「わたしは今や、いけにえとして献げられようとしています」)は、殉教を前にしたパウロの切実な言葉として教会の伝承で重視されてきました。ルカだけが傍らにいるという記述(4:11)、外套を持ってきてほしいという個人的な依頼(4:13)、銅細工人アレクサンドロへの言及(4:14)など、具体的で個人的な記述が多くあります。多くの保守的学者はこれらを真筆の強い根拠と見ます。I.H. Marshallは、こうした個人的断片がパウロ真筆の覚書に由来する可能性を認める折衷的立場をとっています。

疑問を示すデータ

全体的な文体・語彙はテモテ一・テトスと共通しており、牧会書簡を一つの著者グループとして見る立場では、個人的記述は偽名著者が真正らしさを演出するために挿入した可能性を指摘します。批判的聖書学の多数派は、4章の個人的記述もパウロの本物の覚書ではなく偽名著者の文学的技巧と見ます。

執筆年代(通説):
真筆とすれば67年頃のローマ獄中。偽名とすれば90〜110年頃。


13. テトスへの手紙

真筆性の評価: 批判的聖書学では約80〜85%が偽名とします。保守的な学者は真筆と見ています。

真筆性を支持する根拠

テトスはガラテヤ書(2:1-3)に登場する実在の人物であり、真筆書簡との繋がりが確認できます。保守的な学者は、クレタ島の教会組織の問題という具体的状況がパウロ晩年の宣教活動と整合すると論じます。使徒言行録にテトスの名が登場しない謎は、ルカの記述の選択的性質によるものという理解で対処できます。

疑問を示すデータ

テモテ第一・第二と語彙・文体・神学が共通しており、牧会書簡3通が一つのグループとして書かれたと見る立場が多いです。「クレタ人はいつも嘘つきだ」というエピメニデスの格言の引用(1:12)は、ギリシャ的な知的環境への親しみを示しており、後の時代の著作とも整合します。マルキオン正典の問題もテモテ書と同様に当てはまります。

執筆年代(通説):
真筆とすれば65〜67年頃。偽名とすれば90〜110年頃。

まとめ:整理表

書簡批判的聖書学の多数見解保守的聖書学の見解主な論点
ローマ真筆真筆16章の編集史問題(真筆性には影響なし)
Ⅰコリント真筆真筆14:34-35の挿入句問題
Ⅱコリント真筆(複数書簡編集の可能性)真筆10〜13章とのトーンの差
ガラテヤ真筆真筆異論ほぼなし
ピリピ真筆(複数書簡編集の可能性)真筆3章のトーン変化
Ⅰテサロニケ真筆真筆2:14-16の挿入句問題
ピレモン真筆真筆異論なし
コロサイ約50/50多くが真筆語彙・神学の変化 vs フィレモンとの類似
Ⅱテサロニケ約50/50多くが真筆Ⅰテサロニケとの終末論的差異
エペソ約70〜80%が偽名多くが真筆宛先問題・語彙・コロサイへの依存
Ⅰテモテ約80〜85%が偽名多くが真筆語彙の大きな乖離・神学の変化
Ⅱテモテ約80%が偽名多くが真筆個人的記述の真筆断片説
テトス約80〜85%が偽名多くが真筆牧会書簡共通の問題

📖 自分で写本を確認してみよう:データベース一覧

本稿で触れた写本や語彙の問題は、以下の無料データベースで自分の目で確認できます。

サイトURL難易度特徴
Codex Sinaiticushttps://codexsinaiticus.org/en/★☆☆画像が鮮明・英訳対照表示で直感的。まずここから
CSNTMhttps://manuscripts.csntm.org/★☆☆写本一覧がわかりやすい。
NT Virtual Manuscript Roomhttps://ntvmr.uni-muenster.de/★★★情報量豊富・P46など主要パピルスを閲覧可。写本番号(グレゴリー=アーランド番号)で検索
Codex Vaticanushttps://digi.vatlib.it/★★☆バチカン公式・高画質

まずは Codex Sinaiticushttps://codexsinaiticus.org/en/)からアクセスして、自分の知っている聖書箇所を検索してみることをおすすめします。2000年前の文字が自分の目の前に現れる体験は、聖書を読む視点を豊かにしてくれるはずです。

「偽名書簡」と向き合うことの意味

「パウロ本人が書いていないかもしれない」という問いは、私たちの信仰にとって脅威になるのでしょうか。

結論から言えば、現代の聖書学における大きなコンセンサスは、**「真筆か偽名かという問題は、その書簡の神学的価値や正典としての権威を揺るがすものではない」**ということです。

批判的聖書学の多くの研究者は、古代世界において「師の名を借りて執筆する」という文学慣行(擬名著作)が広く行われていたことを指摘します。David E. Auneがこれを「学派的著作」や「敬意による帰属」として類型化しているように、それは決して読者を騙す「詐欺」ではなく、師の思想と権威を新しい時代に適用しようとする「使命の継承」でした。

一方で保守的な立場も、代筆者(アマヌエンシス)の広い裁量やパウロ晩年の状況を想定することで、これらの書簡が確かな「使徒的権威」を持っていることを論証しています。つまり、どちらの立場をとるにせよ、これらの書簡が初期キリスト教の生きた信仰を伝え、今も教会を形作る神の言葉であるという点において、意見は完全に一致しているのです。

プロテスタントの立場において、聖書の「正典性」とは、著者の物理的な手の動きによって担保されるものではなく、使徒的証言の継承と、そこに働く聖霊の導きを教会が真理として受け入れてきたという歴史に基づいています。 「誰がペンを握ったか」という議論を超えて、そこに響く「キリストの福音」に耳を傾けることこそが、私たちがこれらの書簡に向き合う最も豊かな姿勢だと言えるでしょう。

さらに学びたい方へ

批判的聖書学の立場

  • Longenecker, Bruce. “The 2024 Survey of Pauline Scholars”(2024年、Web調査報告)
  • Savoy, Jacques. “Authorship of Pauline Epistles Revisited.” JASIST 70.10 (2019)
  • Beijen, E. & de Heide, R. “Authorship Verification of the Disputed Pauline Letters through Deep Learning.” HIPHIL Novum 10.1 (2025)
  • Harrison, P.N. The Problem of the Pastoral Epistles (1921)
  • Ehrman, Bart D. Forged: Writing in the Name of God—Why the Bible’s Authors Are Not Who We Think They Are (2011)

保守的聖書学の立場

  • Johnson, Luke Timothy. The First and Second Letters to Timothy. Anchor Yale Bible Commentary (2001)
  • Marshall, I.H. and Towner, Philip. A Critical and Exegetical Commentary on the Pastoral Epistles. ICC (1999)
  • Mounce, William D. Pastoral Epistles. Word Biblical Commentary (2000)
  • Wright, N.T. Paul and the Faithfulness of God (2013)
  • Porter, Stanley E. “Pauline Authorship and the Pastoral Epistles: Implications for Canon,” Bulletin for Biblical Research 5 (1995)

日本語で読むなら

  • B.M.メツガー・B.D.アーマン、橋本滋男・前川裕訳『増補改訂版 新約聖書の本文研究 伝達・改悪・回復』(日本キリスト教団出版局、2025年)
  • 辻学『偽名書簡の謎を解く パウロなき後のキリスト教』(新教出版社、2013年)