ペンテコステと律法授与

新約聖書
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 2022年は6月5日がペンテコステでした。毎年移動する祭日です。

 ペンテコステは「聖霊降臨日」とも呼ばれ、キリストが天に昇られた後、聖霊が降ったことを記念する日です。ペンテコステの中心的なテーマは、当然「聖霊」ということになってくるのですが、理由もなくこの聖霊が降ったわけではないということが重要だと思われます。特に、「ペンテコステ」という言葉は、今となっては人によって受ける印象が違う言葉でもあります。ですので、出来事としてのペンテコステの意味について、聖書全体を通して考える必要があります。

 そこで最初の手がかりとなるのは、ペンテコステが「五旬節の日」(使徒2:1)に起きたということです。この日はユダヤ人にとって「七週の祭り」と呼ばれるものであり、旧約聖書に起源があります(レビ23:15-16)。その主な目的は、収穫を感謝する収穫祭です。実はこの日は、モーセがシナイ山で律法を授けられた日と同じでありました。つまり、エジプト脱出の日(すなわち、過越の祭りの日)から50日目であったということです。そこで、この七週の祭りは、神の律法を授けられた日として記念されるようになりました。

 ペンテコステの出来事が、律法を授けられたことを記念する日に起こったということは注目に値します。そこでペンテコステとモーセの律法授与の場面を読み比べてみると、いくつかの共通点があることがわかります。後者では「雷鳴と稲妻」が山を覆い、「角笛の音」が鳴り響きます。そして、主が火の中にあって降りてこられます(出エジプト19:16-20)。一方前者では、「激しい風が吹いてきたような響き」が起こり、「炎のような舌」が降りました。文字を読む分にはあまり似ているように感じないという意見も聞くことがありますが、大きな音や嵐のような風、そして「火」が降るという点は、共鳴していると思われます。
 ここでの特徴の一つは「風」という言葉です。聖霊(ギリシア語:プネウマ)には「風」という意味があるというのはよく聞く話です。そこで2章1節でも「激しい風」という言葉が使われているので、聖霊という意味も込められているのだろう、と思うかもしれません。そのようなニュアンスはあることを認めつつも、実はこの「激しい風」というのは、聖霊を意味する「プネウマ」とは違う言葉が使われています。この言葉は「πνοή(プノイー)」という「風」を意味する言葉です。聖書の中でも使用頻度の少ない言葉です(使徒2:2, 17:25)。このように著者は「風」という言葉を使い分けていることを考えるなら、やはりペンテコステの日に起きた出来事は、シナイ山で起きた律法授与の場面と同じように、まさに「激しい風」が吹いていたということが考えられます。著者はそのことを念頭に置いてその出来事を表現しているというわけです。

 ここでは簡単にペンテコステとシナイ山での律法授与の場面の重なりについて見てきましたが、そのことを踏まえるならば、ペンテコステが単なる聖霊降臨を記念する日ではないということがわかってくると思います。つまり、シナイ山で与えられた神の律法が新しい形で与えられた、それが「聖霊」であったということです。神の律法はイスラエルの民が神の民として生きていくための「指針」のようなものでした。それと同じことが聖霊にも当てはまります。つまり、新約の民は、聖霊によって導かれて歩むようになったということです。

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