はじめに
現代社会を象徴する言葉の一つに「タイパ(タイムパフォーマンス)」があります。いかに効率よく、最小限の時間で最大限の成果や情報を得るか。私たちは無意識のうちに、時間を「効率」という物差しだけで測るようになっています。
しかし、聖書が教える「時の用い方」は、単なる時間管理術(タイムマネジメント)とは一線を画す、よりダイナミックで深い洞察に満ちていると言えるかもしれません。
1. 「エクサゴラゾー」—市場から買い取る
エペソ人への手紙5章16節には、「時をよく用いなさい/活かしなさい」という言葉があります。ここで使われているギリシア語は「ἐξαγοράζω (エクサゴラゾー) 」です。
この言葉は、接頭辞「ἐκ」と動詞「ἀγοράζω」から複合語ですが、「〜から買い戻す」という意味があります。この単語は、新約聖書中では、4回使われています。ガラテヤ書では「贖う」(ガラテヤ3:13, 4:5)、エペソ・コロサイ書では「活かす」(エペ5:16, コロ4:5)と訳されています。
本来「ἀγοράζω(アゴラーゾー)」という言葉には、「買う」という意味があります。新約聖書中では、30回使われています。基本的には商業的な「買う」という意味で使われていますが(マタイ13:44など)、一部、それが転じて(奴隷を)「贖う(買い戻す)」という意味で使われます(第一コリント6:20, 7:23など)。
辞典によりますと、このように説明されています。
The compound ἐξαγοράζω occurs only in Paul’s writings. It is used with the special sense of “redeem” in Gal 3:13 and 4:4, though in these verses the focus is deliverance from the consequences of breaking God’s law. Elsewhere the apostle uses this verb to express the rather different idea of “redeeming the time” (Eph 5:16; Col 4:5); in this context it probably has an intensive force, “snap up every opportunity that presents itself” (in Dan 2:8 the language is the same, but the sense is “to stall for time, delay”).
Moisés Silva, ed., New International Dictionary of New Testament Theology and Exegesis (Grand Rapids, MI: Zondervan, 2014), 140.
[拙訳]複合語ἐξαγοράζωはパウロの書簡にだけ見られる。ガラテヤ3:13と4:4では「贖う」という特別な意味で使用されているが、これらの節では神の律法違反の結果からの解放が焦点となっている。他の箇所では、使徒(パウロ)はこの動詞を用いて「時を贖う」(エペソ5:16、コロサイ4:5)というかなり異なる概念を表現している。この文脈ではおそらく「差し迫った機会を逃さず掴む」という強調的な意味合いを持つ(ダニエル2:8では同じ表現が用いられているが、意味は「時間稼ぎをする、遅延させる」である)。
この説明を踏まえるなら、エペソやコロサイの当該箇所のニュアンスは、「差し迫った機会を逃さず掴む」という意味があることは確かです。しかし、原語の意味がもともと「買う」という意味である点を踏まえるならば、意味合いとしては「機会を活かす」であったとしても、直訳的なニュアンスは「時を買う」だと解釈できます。さらには、元々の意味である市場での奴隷を「買い戻す」というニュアンスも汲むならば、エペソ・コロサイにおいても、「市場の奴隷を、代価を払って買い戻し、自由の身にする」という「贖(あがな)い」の意味があると言えます。
ちなみに、古典的な訳ではありますが、KJVでは”Redeeming the time”と訳されています。
このようなニュアンスを意識するなら、エペソ5:16の「今の時を生かして用いなさい」のメッセージが新たな視点から見えてくるように思います。
ここでの文脈というのは、直前の15節にあるようにクリスチャンとしての生き方です。そして、そのような生き方をするということは、「時を買い戻す」ことによってなされるということです。意識せずに生きていると、私たちの時間はスマホの通知や終わりのないタスクといった”市場”に飲み込まれ、消費され、いわば時間の奴隷のような状態に陥ってしまいます。そのような現代社会においても、この箇所は重要なことを教えてくれているように思います。つまり、「時を買い戻す」とは、そのような所から代価を払って時間を買い戻すことなのです。
2. 二つの「時」—クロノスとカイロス
それでは、買い戻すべき「時」とはどのようなものでしょうか。ギリシア語には「時」を表す二つの言葉があります。
- χρόνος(クロノス):流れていく「量」の時間。時計の針が刻む一分一秒といった等間隔に流れる時間。英語の「Chronology(年代表)」の語源。現代の「タイパ」が対象にしているのは、このクロノスの中にいかに多くのタスクを詰め込めるかという「量」の概念です。
- καιρός(カイロス):意味を持つ「質」の時間。特定の「目的」や「意味」を持った決定的な瞬間。日本語では「好機」とも訳されたりします。これは価値や「質」の概念です。
パウロが「時を買い戻す」と言ったとき、対象となっている「時」は「カイロス」の方だと言えます。つまり、過ぎ去るだけの時間(クロノス)を”市場”から救い出し、本来あるべき生き方をするための機会(カイロス)に変えるようにと招かれているのです。
3. 実践的な知恵:代価を払って「カイロス」を生きる
具体的に、どうすればこの「買い取り」ができるのでしょうか。 何かを市場から買い出すには、当然「代価」が必要です。時間の場合、それは「誘惑を断つ」「無意味な比較をやめる」「あえて効率を捨てる」といった決断だと言えるのではないかと思います。そのような「代価」を払って初めて、「時間」は私たちの手に戻ってきます。
世の中で求められるのは「効率」であり、いかに「時短」するかが問われます。しかし、クリスチャンに求められているのは、効率の追求ではなく、代価を払ってでも時を買い戻し、その時を「神のために用いる」ことだと言えるのではないでしょうか。
ですが、これは神の奴隷のように生きるということではありません。本来の生き方、喜びや幸いに満ちた人生を取り戻すということです。なぜなら、神のために時間を用いるということは、言い換えるなら、神に愛された者として生かされるということでもあるからです。この世の時間の奴隷になっている時、私たちは自らの手で、自らの力で、自らの努力で、自分を肯定するものを手に入れなければなりません。しかし、それがどれほど難しいか、たとえそれを手にしたとしても、それがいかに脆いものであるのか。誰もが気づいているように思います。
おわりに
目まぐるしく情報が飛び交う社会の中で、効率を求めないと「上手くやっていけない」という焦りを感じることもあるでしょう。ですが、その市場に時間を売り渡した結果、本当の生き方からかけ離れてしまってはいないでしょうか。
エペソ5:16が教えているのは、そのような時間を買い戻し、神に喜ばれる生き方のために用いることです。 無意識に触れているスマホから手を離すこと。SNSに溢れる見せかけの華やかさから目を逸らすこと。そのような「代価」を払って自分自身の時間を取り戻すことは、現代社会にこそ必要な「贖い」の形かもしれません。
そのようにして買い戻された時間は、単に消費されるものではなく、神と共に歩む「永遠の価値を持つ時間」へと造り変えられていくように思います。
