「明けない夜はない」

「やまない雨はない」

「苦難には必ず意味がある」

私たちが深い絶望の中にいるとき、こうした言葉は時に、暴力のように響くことがあります。もちろん、励まそうとしてくれている相手の優しさは分かります。それでも、「今、まさに暗闇の底にいる人」にとって、ポジティブな言葉や安直な慰めは、現実とのあまりの落差ゆえに、かえって孤独を深めてしまうものです。

もし、キリスト教が語る救いが「信じれば、すべての苦しみが消え去ってハッピーになれる」というような魔法の杖や現実逃避の手段であるならば、私はそれを誰かに伝えようとは思いません。なぜなら、私たちの生きる現実は、そんなに甘いものではないからです。

しかし、聖書という書物は、私たちが思っている以上に「人間の現実」に対して容赦がなく、そして誠実です。

賛美で終わらない「最も暗い詩」

聖書の中には「詩篇」という、古代の人々の祈りや歌を集めた150の詩があります。その多くは、苦しい状況から神に助けを求め、最後は「神様ありがとう」という賛美や感謝で終わる美しい構成を持っています。

ところが、その中に一つだけ、異質な詩が含まれています。それは、詩篇88篇です。

この詩は、最初から最後まで、文字通り「絶望」しか語られません。「私は死人のようです」「あなたは私を最も深い穴に置かれました」と、病や孤立の苦しみを神にぶつけ続けます。

詩篇に見られる多くのパターンにしたがえば、最後の方で「それでも私は信じます」と前を向くはずです。しかし、詩篇88篇は違います。最後に置かれている言葉は、信じられないほど暗く、重いものです。

あなたは愛する者と友とをわたしから遠ざけ、わたしの知り人を暗やみにおかれました。

詩篇88篇18節(口語訳聖書)

賛美はありません。希望の告白もありません。ただ、「真っ暗闇だ」という言葉で、この詩はプツリと途切れて終わるのです。原語のヘブル語では、最後の単語がまさに「暗闇」です。さらに衝撃的なことに、15節では「わたしは若い時から苦しんで死ぬばかりです」とあります。これは一時的な試練ではなく、この詩を詠んだ詩人が生まれた時からずっと抱え続けてきた、終わりの見えない苦しみであることを示唆しています。

なぜ、希望と慰めを語るはずの聖書の中に、こんな「救いのない詩」が収録されているのでしょうか。普通なら、編集段階でカットされてもおかしくないのではないでしょうか。

「涙の土曜日」を生きる

キリスト教の暦では、今度の日曜日(2026/4/5)は「イースター(復活祭)」を迎えます。 イエス・キリストが金曜日に十字架で処刑され、日曜日の朝に死を打ち破って復活したことを祝う、キリスト教において最も重要な日です。

しかし、私たちは「金曜日(死)」と「日曜日(復活・希望)」の間に挟まれた、「土曜日」の存在を忘れがちです。

師であるイエスを処刑された弟子たちにとって、その土曜日はどんな一日だったでしょうか。 夢は打ち砕かれ、信じていた神に見捨てられ、ただ圧倒的な喪失感と恐怖の中に閉じこもるしかなかったはずです。

私たちは歴史的な結末を知っているので、「明日は復活の日曜日だよ!」と気楽に言うことができます。しかし、当時の弟子たちには、日曜日のことなど知る由もありませんでした。彼らにとっての土曜日は、希望の光などどこにも見えない、文字通りの「涙の土曜日」だったのです。

私たちの人生にも、この「涙の土曜日」が訪れることがあります。 終わりの見えない病気、大切な人との死別、どうしても解決しない人間関係や、社会の不条理。祈っても祈っても状況は変わらず、「明日は来る」と信じることができないような、沈黙の土曜日です。

本当の慰めとは何か

では、聖書はそんな暗闇の中にいる人に、何と声をかけるのでしょうか。 「頑張れ」「前を向け」とは言いません。

聖書が詩篇88篇を「神の言葉(正典)」として残した理由。それは、「答えが出ないまま、暗闇の中で叫び続けるあなたのその姿を、神は決して否定しない」という強烈なメッセージでもあると言えるのではないでしょうか。

「なぜですか」「どうしてですか」と神に怒りや嘆きをぶつけることは、不信仰ではありません。むしろ、絶望の中でもなお「あなた」に向かって語りかけているという、ギリギリの、しかし本物の「関係」の証明です。神は、綺麗にまとめられた感謝の祈りと同じくらい、そのドロドロとした暗闇の叫びを、尊い祈りとして受け止めておられるのです。

本当の慰めとは、問題がすぐに解決することではありません。 吹き荒れる嵐の中で、波をかぶって沈みそうな小舟の中に、「一緒に乗って、共に苦しんでくれる存在がいる」という事実です。

イエス・キリストが十字架で死に、冷たい墓の中に葬られたあの土曜日。それは、神ご自身が、人間の「最も深い暗闇」の底にまで自ら降り立ち、私たちと痛みを共有してくださった日でした。

あなたがもし今、出口の見えない暗闇の中にいるのなら、無理に希望を探そうとしなくても大丈夫です。賛美できなくても、感謝できなくても構いません。

ただ、その暗闇の中で、あなたと共に「涙の土曜日」を過ごしてくださる方がいること。そして、あなたのその声にならない叫びを、決して無駄なものとして切り捨てない方がいること。

その事実だけが、明けない夜を生きるための、かすかな、しかし絶対に消えない「光」となるのです。