はじめに
本日の更新は、2022年の記事から。定期的に過去の記事も振り返っていきたいと思います。
「立ち返る」という言葉を聞くとき、私たちは反射的に「人間が神の方へ向き直ること(悔い改め)」を想像します。しかし、聖書の言葉を注意深く辿っていくと、そこには驚くべきことに、神ご自身が「立ち返る」という描写が見られます。
1. ヘブル語「シューブ(שׁוּב)」の二面性
通常「立ち返り」と訳されるヘブル語は、「שׁוּב(シューブ)」といいます。 基本的な意味は、至ってシンプルな「方向転換(turn)」です。
通常、この言葉が人間に対して使われるときは、罪の道から離れ、神様の方へ向きを変える「悔い改め」を意味します。たとえば、「背信の子らよ、立ち返れ(シューブ)」(エレミヤ 3:14)。
このように、神は不従順な民に対して、何度も切実な思いで「立ち返れ」と預言者を通して呼びかけられます(エレミヤ3:22等)。
2. 神が「立ち返る」という祈り
しかし、興味深いことに、この「シューブ」は詩人が神に向けて叫ぶ言葉としても登場します。
「主よ、かえりみて、わたしの命をお救いください。
詩篇6:4(口語訳聖書)
あなたのいつくしみにより、わたしをお助けください。」
ここで「かえりみて」と訳されている言葉が、「シューブ」です。苦難や病、あるいは迫害の中にあり、「神様に見捨てられた」と感じるほどの窮地において、詩人は主に「向きを変えて、私のところへ戻ってきてください」と訴えているのです。
3. 響き合う二つの叫び
人間が神に「主よ、立ち返ってください」と祈ること。 そして神が人間に「わが子よ、立ち返れ」と招くこと。
人間の「立ち返り」や「悔い改め」を表すこの言葉が、神に対しても使われていることは、大変興味深いことであるように思います。もちろん、神には立ち返りも悔い改めも必要ないわけですが。
時に、人は窮地にいると、神が背を向けているように感じてしまうものです。それは、しばしば、私たち自身が神に背を向けているからゆえのことである場合もあります。
しかし、悔い改めは片方だけがするものではありません。悔い改めは、一方的になされるものではなくて、受け入れられて初めて成立します。だからこそ、同じ言葉で、神に対しても「シューブしてください」と訴えるのではないでしょうか。一つの「シューブ」という言葉の中に、神と人の双方の「方向転換」が見られるのです。
おわりに
神への「立ち返り(シューブ)」というのは、聖書の中でも重要なテーマだと言えます。ですが、その立ち返りは人間の気まぐれや勝手になされるものではありません。それは受け入れられて初めて成立します。つまり、神もまた「シューブ」されるということです。
私たちが主を呼び求める時、主もまた私たちを呼び求めておられる。その響き合いの中にこそ、まことの回復があるのだと、教えられるように思います。
