昨今の世界情勢を見聞きする度に、切ない気持ちになります。特にウクライナとロシア間での争いは終結の兆しが見えません。そんな中で、最近よく聞かれることは、ロシアもキリスト教国なのに「なぜ、こんなことが起きるのか」という質問です。
まず明言したいことは、その理由は私には分かりかねます。究極的には「人には皆、罪の性質があるから」と答えるしかないのではないかと思います。とはいえ、「なぜ」という問いは誰もが思っていることであり、私も同じように「なぜ」と思います。
ロシアはキリスト教国でありますが、その多くは「ロシア正教会」であり、「東方正教会」に分類されます。「プロテスタント教会」と何が違うのかとも聞かれますが、東方正教会は直接的にはプロテスタントから分裂したグループではありません。まず大きな括りでは、西方と東方でキリスト教が分かれ、その後に、西方の中でカトリックとプロテスタントに分かれます。そう考えると、いきなり東方正教会とプロテスタントを比べるのは、少々強引な感じがします。
少し調べれば西方と東方での違いは出てきますが、今回の件では「神学」の違いが重要ではないと個人的には思います。以前見たニュースでは、ロシア正教会の中にも戦争に反対する司祭がいると言われていました。ただし、その大勢は支持派であるため、世間ではキリスト教国なのに「なぜ」という疑問が生まれているわけです。
実際、自分がその場にいないと身に迫る危機感などは想像すらできないように思います。国家を支持するのか、支持しないのかで、自分や家族の命や生活が変わってしまうとしたら、どちらを選択するのか。命懸けの選択です。その際に、自分の選択を聖書の解釈次第でいくらでも正当化できてしまう、ということが大きな問題だと思います。
これは、西か東かという問題ではありません。実際に、世界の歴史を見れば明らかです。日本でも、キリスト教が国の戦争に加担するということがありました。結局、いつの時代も問われているのは、キリスト者一人一人の生き方です。西か東か、カトリックかプロテスタントか、もっと細かく言えば、プロテスタントの中にもいくつものグループがある中で、どれに属せば「正しい」というわけではないのだろうと思います。結局は、どれに属しても過ちはあるわけで、自分で聖書に向き合い、考え続けることが欠かせません。それでは、そのようなグループが無意味かと言えばそうではなくて、個人を超えて、対話し続けることで、自分絶対主義に陥る危険を避けることができるだろうと思います。
ですので、最初の問いに改めて答えるとしたら、自分たちも同じような問題に直面することがあるかもしれないということです。「あの人たちはクリスチャンなのになぜ?」と問いたくなることは、私たちの身近にもたくさんありますが、それは私たちが自分自身を省み続ける中でこそ意味を持つものだと思います。
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