近年、日本でも”New Perspective(s) on Paul(パウロ研究の新しい視点)”という言葉が広まっているように、パウロ研究に大きな進展がありました。その研究史については、こちらの記事をご参照ください。
上述の本は2023年出版であり、時間が前後してしまうのですが、日本の出版状況と海外の出版状況ではタイムラグがあることも考慮して、今回はまず、2012年出版のマイケル・F・バード編『Four Views on the Apostle Paul』(Zondervan) (寄稿者:T.R. シュライナー、L.T. ジョンソン、D.A. キャンベル、M.D. ナノス)を参照して、パウロ研究の4つの視点をざっくりご紹介したいと思います。
1. 改革派の視点(T. シュライナー)
• キーワード: 法廷、身代わり、伝統
• 主張: ルターやカルヴァン以来の伝統的なプロテスタントの読み方です。人間は罪人であり、神の法廷で裁かれる存在ですが、キリストが「身代わり」となって罰を受けたことで、信仰によって無罪(義)と宣言されると考えます。
2. カトリックの視点(L.T. ジョンソン)
• キーワード: 変容、共同体、霊的
• 主張: パウロの手紙すべて(13通)を重視します。救いとは単なる法的な無罪宣言ではなく、人間の中身が聖霊によってきよめられ「変容」することだと説きます。個人の救いより、教会の共同体としての歩みを強調します。
3. ポスト・New Perspective(新視点)の視点(D. キャンベル)
• キーワード: 神の介入、解放、反・契約、黙示的パウロ
• 主張: 「信じたら救われる」という契約のような取引(義認理論)を否定します。人間は自分ではどうしようもないので、神が一方的に「介入(黙示的)」して、敵であった人間を救い出した(解放した)と考えます。
4. ユダヤ的視点(M. ナノス)
• キーワード: ユダヤ人、共存
• 主張: パウロはキリスト教に改宗したのではなく、生涯「ユダヤ教徒」だったと考えます。彼は「異邦人はユダヤ人にならなくても(割礼を受けなくても)救われる」と主張したのであり、教会がイスラエルに取って代わった(置換した)とは考えません。
本書の特徴は、それぞれ異なる立場の主張に対して、それぞれが応答している点です。さながら、討論を聞いているような(もちろん、限られた文字数ではありますが)感じです。ですので、それぞれの立場の良し悪しを客観的に学ぶのに適しています。
多様なパウロ研究が示唆するもの
このように、パウロ研究は多様さを極めている現状があります。ですが、そもそも聖書の記述によれば、パウロと同じ時代に生きた人々にとっても、理解しにくかったようです。
彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって…
ペテロの第二の手紙3章16節(口語訳聖書)
しかし、今回紹介した4つの視点が互いに「火花」を散らすように対話をすることは、単なる神学的な混迷を意味するのものではありません。
むしろ、多角的な視点が必要であること自体が、パウロが語る福音の豊かさを証明しています。法廷的な宣言、神秘的な変容、三位一体の愛への参加、そしてイスラエルの神の再発見。これらの視点は、互いに批判し合いながらも、パウロという一人の人物が抱えていた信仰の重層的な真実を浮き彫りにしていると言えます。
2012年に『Four Views on the Apostle Paul』が出版されてから十数年。パウロ研究はもはや、特定の「巨匠」たちが自説を競い合うだけのフェーズを過ぎました。
現在(2026年初頭)、研究の全体像を俯瞰するのに最もふさわしい一冊を挙げるなら、Nijay K. Gupta, Scot McKnight, and Erin M. Heim編『The State of Pauline Studies: A Survey of Recent Research』(Grand Rapids, MI: Baker Academic: A Division of Baker Publishing Group, 2024)でしょう。
この本の最も興味深く、かつ意義深い点は、N.T. ライトやD. キャンベル、J. バークレーといった「提唱者本人たち」が一人も寄稿していない点にあります。
なぜ、それが「意義深い」のか?
かつては、彼ら自身の著書を読まなければ、その刺激的な主張に触れることはできませんでした。しかし今や、彼らが提唱した概念(NPPやポストNPP、黙示的視点など)は、提唱者本人の手を離れ、無数の学者たちによって客観的に議論され、検証される「学界全体の共通財産」へと昇華したのです。
本人たちが語る「熱い主張」の段階から、次世代の学者たちがそれを冷静に分析し、位置づける段階へ。 この2024年のSurvey(概観)にまとめられた議論の豊かさは、パウロ研究がいかに成熟し、広がりを見せているかを如実に物語っているのではないでしょうか。
もし今、パウロ研究に関する本の邦訳をするなら、間違いなくこの『The State of Pauline Studies』になるのではないかと思います。まさに、学界全体がパウロの神学といかに格闘しているか、その「現在地」がここにあります。
ということで次回は、この2024年のパウロ研究を概観する最新刊をご紹介し、今まさに何が議論の焦点になっているのかをお伝えできればと思います。
