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「聖書神学」の記事一覧

エペソ書:宇宙的なキリストの勝利と、パウロの「真筆性」をめぐる最新の議論
パウロの書簡の中でも、『エペソ人への手紙』(以下、エペソ書)は、その教理の深さと壮大なスケールで多…
詩篇87篇5節の接続詞について
はじめに:接続詞「しかし」が抱える神学的な分断のリスク 新改訳2017や口語訳など、いくつかの邦訳聖書に…
自由という名の不自由―ヨハネの福音書に見る逆説
日本の国立国会図書館の本館入り口に、「真理がわれらを自由にする」という言葉がギリシア語と日本語で刻…
パウロはユダヤ人だったのか?—近年の聖書学が教えてくれること—
「パウロはユダヤ教を捨てた人だ」——そんなイメージを持っている方は多いのではないでしょうか。かつてパ…
「上」の論理と「下」の論理 — 十字架というパラドックス
仮庵の祭りにおけるイエスとユダヤ人たちとの論争は、平行線をたどります。イエスはご自身のアイデンティ…
「自分で自分を造らなくていい」という安らぎ
「私たちはどこから来て、何のために生きているのか?」 聖書の最初の書である『創世記』には、「初めに、…
祝福再考—傷跡さえも、祝福と呼べるなら
「祝福」とは、一体何でしょうか。聖書の中ではお馴染みのフレーズであると同時に、最近ではニュースなど…
「アロンの祝福」(民数記6章24-27節)の構造と神学的意味
旧約聖書・民数記6章24-27節に記された「アロンの祝福」は、聖書の中で最も古く、また現代の教会での礼拝…
「仮庵の祭り」と「わたしは世の光」
非常によく知られているイエスの言葉の一つにこのようなものがあります。 わたしは世の光である。わたしに…