クリスチャンにとって「成長」は重要なテーマです。ともすると、成長というのは、他の人との比較で判断されがちです。ですが、ここで言われている成長とは、個別のものではなく、「一人」、すなわち、キリストのからだなる教会としての成熟です。

このフレーズは、ギリシア語ではシンプルに「ἄνδρα τέλειον」となっていて、直訳は口語訳のように「全き人」といったところでしょうか。新改訳2017では「一人の成熟した大人」、新共同訳では「成熟した人間」となっています。

まず、「人」や「人間」、「大人」と訳される言葉は「ἀνήρ」と言い、BDAGでは「1. an adult human male, man, husband. a. in contrast to woman man…」と定義されています。ただ、これには別のニュアンスもありまして、「b. in contrast to boy」あるように、「子ども」に対して「大人」と解釈されることもあります。

このニュアンスが現れているのが、コリント第一13章11節です。「わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとな(ἀνήρ)となった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。」(口語訳聖書)

後半の「τέλειον」には、まさに「成熟する」「大人になる」という意味がある一方で、目的を達成する(完了する)、完全にするといった意味もあります。

パウロ書簡では、どちらの意味にも使い分けられているように見受けられます。

ローマ12:2(口語訳聖書)
あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

コリント第一2:6(口語訳聖書)
しかしわたしたちは、円熟している者の間では、知恵を語る。この知恵は、この世の者の知恵ではなく、この世の滅び行く支配者たちの知恵でもない。

他には、1コリ13:10(完全), 14:20(大人); フィリ3:15(大人)等。

ですので、エフェ4:13で「成熟した大人」と訳されることは自然な訳だと言えます。ただここで興味深いのが、新改訳2017において「一人の」が訳出されている点です。これは、新共同訳や口語訳との違いです。おそらく、原語では単数系となっていることを意図的に訳出したものと思われます。

単数か複数かというのは、日本語ではこのように意図しないと、翻訳には反映されません。実際、ほとんどは、少なくとも邦訳上では判別できないことの方が多いような気がします。ただ、ここではあえて「一人の」を訳出していることを考えると、やはりそこに重要な意味があると言えるのではないかと思います。

つまり、クリスチャンとしての成長とは、個別ではなくて、キリストのからだとしての成熟が重要だということです。