前回は、希望と栄光というパウロ神学を貫く二つの軸について考えました。来るべき時代の栄光を、現在の時代において確信をもって待ち望む生き方が希望です。
しかし、ここで一つの問いが浮かんできます。来るべき時代がまだ完全には到来していないこの「いまだ」の只中にあって、私たちはどのようにして栄光の現実を確信できるのでしょうか。なぜ希望は、ただの願望や楽観主義に終わらないのでしょうか。
パウロの答えは明快です。それは、聖霊です。聖霊は、来るべき時代の現実を、今ここに先取りしてもたらす存在です。今回は、終末論という観点から聖霊の働きについて考えてみます。
来るべき時代を今にもたらす霊
旧約聖書のヨエル書は、終わりの日に神の霊がすべての肉なる者に注がれることを預言していました(ヨエル2:28)。神の霊が普遍的に注がれるという出来事は、ユダヤ人にとっては「終わりの日」の到来を告げるしるしと理解されていたのです。
その後わたしはわが霊をすべての肉なる者に注ぐ。あなたがたのむすこ、娘は預言をし、あなたがたの老人たちは夢を見、あなたがたの若者たちは幻を見る。
ヨエル書2章28節(口語訳聖書)
この預言を背景に、初代教会の信仰者たちはペンテコステに起こった聖霊降臨を「終わりの日」が始まったしるしとして受け止めました。聖霊が今ここに注がれているということは、終わりの日がすでに始まっているという宣言にほかならなかったのです。
つまり聖霊そのものが、来るべき時代の現実そのものだということです。聖霊が今ここに与えられているということは、来るべき時代の一部がすでに現在の時代に侵入しているということを意味しています。
復活の力としての聖霊
聖霊が来るべき時代の現実であることが最も鮮やかに現れるのが、復活との関係です。
パウロはローマ書8章でこう述べます。
もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。
ローマ人への手紙8章11節(口語訳聖書)
聖霊はキリストを死者の中から復活させた力です。そして同じ聖霊が、信仰者の最終的な肉体の復活を可能にする力でもあります。さらに言えば、信仰者が今、「霊的に」復活し、新しいいのちの中を歩んでいるのも、この同じ聖霊の働きなのです(ローマ6:4-5)。
過去のキリストの復活、現在の信仰者の霊的復活、未来の肉体の復活。この三つを一つにつないでいるのが聖霊だと言えます。このように復活は孤立した出来事ではありません。聖霊によって時間を貫いて結びつけられた、一つの大きな出来事の三つの局面なのです。
保証としての聖霊
エペソ書はもう一つの大切な比喩を用いています。それは、聖霊が「相続の保証(アラボーン、ἀρραβών)」であるということです(エペソ1:14)。
アラボーンは、商取引の用語で、契約金や手付金を意味する言葉です。今ここで一部を受け取っているということが、残りの全部を必ず受け取るという確かな保証になるということです。
パウロもローマ書8章で、別の角度から似たような比喩を用いています。聖霊は「初穂」である(ローマ8:23)と言われます。初穂とは、収穫の最初の一握りのことです。それは収穫の全体ではありませんが、収穫が確実に到来することを示すしるしであり、また来るべき収穫の一部そのものです。
手付金、初穂。どちらの比喩も同じ事柄を違う角度から語っています。聖霊は単なる現代における慰めにとどまらず、来るべき時代に確かに到達するための、神からの保証として与えられているのです。
子とする霊
パウロは聖霊を「子とする霊」とも呼んでいます(ローマ8:15)。聖霊は信仰者を神の子として受け入れさせ、「アバ、父よ」と呼ぶ祈りを内側から引き出します(ガラテヤ4:6)。
そしてこの「子とされる」ということは、深い終末論的な意味を持っています。なぜなら、子であるなら、相続人だからです(ローマ8:17)。
ここで先ほどの議論が繋がります。聖霊は手付金として相続を保証するだけでなく、聖霊そのものが、私たちを相続人にする霊でもあるのです。聖霊なしには相続人もありえず、相続人でないなら相続もありえません。聖霊論と終末論は、ここで深く結びついているのです。
Campbellは、聖霊と終末論の関係を次のように要約しています。
Constantine R. Campbell, Paul and the Hope of Glory: An Exegetical and Theological Study (Grand Rapids, MI: Zondervan Academic, 2020), 462.As the deposit guaranteeing their inheritance, the presence of the Spirit mediates the future to believers. He is the future breaking into present experience. As such, the presence of the Spirit empowers believers to participate in the new creation and to live according to the day rather than the night.
相続を保証する手付金として、聖霊の臨在は信仰者に未来を仲介します。聖霊は、現在の経験に侵入してくる未来そのものなのです。それゆえに、聖霊の臨在は信仰者に新創造に与る力を与え、夜ではなく昼にしたがって生きることを可能にします。
ぼくどくメモ
「我は聖霊を信ず」。使徒信条のこの一文を、私たちはどれほど終末論的な確信として告白しているでしょうか。
聖霊は、来るべき時代を今にもたらす霊です。その働きは慰めや力にとどまらず、栄光ある終末への確かな道筋をこの身に保証として与えるものなのです。
苦しみの只中で「アバ、父よ」と祈る声は、実は来るべき時代から響いてくる声でもあります。私たちが祈っているそのとき、すでに来るべき時代の声が、私たちの内側に鳴り響いているのです。
そう考えてみると、信仰生活そのものは、まさに終末論的な行為だと思えてきます。なぜなら、聖霊によって祈り、聖霊によって歩むということは、来るべき時代を、今ここで先取りして生きるということだからです。
参考文献:Constantine R. Campbell, Paul and the Hope of Glory: An Exegetical and Theological Study (Grand Rapids, MI: Zondervan Academic, 2020).
