*シリーズ「ゴーマンと参与の神学」の第2回です。第1回「マイケル・ゴーマンとは誰か」をお読みでない方は、まずそちらをご覧ください。
前回の記事で、マイケル・ゴーマンというアメリカの新約聖書学者をご紹介しました。彼の神学の出発点であり、また今も中心に置かれている概念が「クルシフォーミティ(cruciformity)」です。
この耳慣れない言葉は、ゴーマンが2001年の『Cruciformity: Paul’s Narrative Spirituality of the Cross(クルシフォーミティ、パウロの十字架の物語的霊性)』の中で提唱した造語であり、彼のパウロ理解の核心をなしています。本記事では、この概念をより詳しく見ていきます。
「クルシフォーミティ」という言葉の意味
英語のcruciformityは、前回ご紹介した、ティモシー・G・ゴンビス『力は弱さのうちに 牧会者パウロ 十字架の姿を生きる』(いのちのことば社)における立木信恵氏の訳者あとがきが指摘するとおり、ゴーマン自身の造語です。これはcruciform(十字架の、十字架の形をした)とconformity(同形性、ある形に合わせること)を組み合わせた語で、日本語に直訳するなら「十字架形性」あるいは「十字架の形に生きること」となります。
「神の側からの働きかけ」と「信者の側からの応答」の両面が含まれているという立木氏の説明は、ゴーマンの概念を理解する出発点として極めて的確だと言えます。クルシフォーミティは、私たちが努力して十字架の形に自分を合わせる人間的な営みではなく、聖霊が私たちのうちに十字架の形を彫り込んでいく神の御業であり、同時にそれに能動的に応答していく生き方だからです。
マスター・ストーリーとしてのピリピ書2章
ではゴーマンは、パウロの手紙の中で具体的にどこからクルシフォーミティを読み取っているのでしょうか。彼が「マスター・ストーリー(master story)」と呼ぶのは、ピリピ2章6-11節の有名な「キリスト賛歌」です。
キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、 また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。
ピリピ人への手紙2章6-11節(口語訳聖書)
ゴーマンはこの讃歌について、こう述べます。
Of all the narratives of the cross in Paul’s letters, including the clusters mentioned above, one in particular seems to be foundational in nature, both by reason of the comprehensive scope of its narrative and by reason of its pervasive echoes throughout Paul’s writings. This narrative is contained in Philippians 2:6–11, which, ironically, is possibly not Paul’s original work but his adaptation of an early hymn. Nonetheless, in this text, in parallels to it,23 and in the contexts in which it and the parallels occur, we find nearly all the patterns and images of the cross noted above: obedience, love, grace, sacrifice, altruism, grace, self-giving, voluntary self-humbling, culmination of a story of incarnation and suffering, liberation for new life, and prelude to exaltation/resurrection. This hymnic narrative found in Philippians 2:6–11 may therefore be accurately described as Paul’s master story of the cross.
パウロの手紙にあるあらゆる十字架の物語、すなわち前述したいくつかの主題群を含むそれらの物語のなかで、とりわけ一つの物語が根源的な性格を帯びていると思われる。それは物語の範囲が包括的であるという理由からも、またパウロの著作全体に響き渡る反響が広範であるという理由からも、そう言える。この物語はピリピ書2章6-11節に含まれている。皮肉なことに、これはおそらくパウロ自身のオリジナルではなく、初期の賛歌を彼が転用したものである。それでもなお、この本文においても、その並行箇所においても、また両者が現れる文脈においても、私たちは前述した十字架の諸パターンと諸イメージのほぼすべてを見いだすのである。すなわち、従順、愛、恵み、犠牲、利他、恵み、自らを与えること、自発的に自らを低くすること、受肉と苦難の物語の頂点、新しい命のための解放、そして高挙ないし復活への序曲である。それゆえ、ピリピ書2章6-11節に見られるこの賛歌的な物語は、パウロの十字架のマスター・ストーリーとして正確に描写されてよい。23 Parallels include especially the following: Gal. 1:4; 2:20; 2 Cor. 8:9.
Michael J. Gorman, Cruciformity: Paul’s Narrative Spirituality of the Cross, 20th Anniversary Edition (Grand Rapids, MI: William B. Eerdmans Publishing Company, 2021), 88.ゴーマンが指摘するこの讃歌の特徴は重要です。第一に、これは興味深いことに、おそらくパウロ本人の創作ではなく、初代教会で歌われていた賛歌をパウロが取り入れ、自身の手紙に組み込んだものだと考えられています。つまり、パウロの「十字架の物語」の中心には、彼一人の信仰経験ではなく、初代教会全体が歌っていた信仰告白が据えられているのです。
第二に、この短い讃歌のなかに、十字架にまつわる主要なモチーフがほとんどすべて凝縮されています。従順、愛、恵み、犠牲、自らを与えること、自発的に自らを低くすること、そして十字架の死を通って復活と高挙へと至る運動。だからこそゴーマンは、これをパウロ霊性の「マスター・ストーリー」と呼ぶのです。
そして、この讃歌が描いているのは、「神のかたちであるにもかかわらず」自らを低くしたキリストの物語です。ゴーマン自身が後の著作『Inhabiting the Cruciform God』で展開する解釈に従えば、これは「神のかたちであるにもかかわらず」というよりは、むしろ「神のかたちであるからこそ」自らを低くしたキリストの物語です。神の本質そのものが自らを与えるものであり、それが十字架において最も明確に表されました。
ともあれ、信仰者の生は、このキリストの物語の形をなぞっていくというのが、クルシフォーミティの基本的な発想です。
「模倣」ではなく「物語的霊性」
ここで重要なのは、ゴーマンが「クルシフォーミティ」を「キリストの模倣(imitation of Christ)」とは明確に区別している点です。これはトマス・ア・ケンピスの『キリストに倣いて』以来、キリスト教霊性の伝統的な表現でしたが、ゴーマンによれば、この言葉では不十分なのです。
なぜでしょうか。模倣という言葉は、模範となる対象を外から眺め、自分の力でそれに似せていく営みを連想させます。しかし、パウロが語っているのは、それとは異なります。ゴーマン自身、『Cruciformity』においてこう述べています。
Cruciformity, I therefore suggest, is a term more appropriate for what has often been referred to as the “imitation” of Christ. Cruciformity is an ongoing pattern of living in Christ and of dying with him that produces a Christ-like (cruciform) person.
したがってクルシフォーミティは、これまでしばしば「キリストの模倣」と呼ばれてきたものに対して、より適切な用語であると私は提案する。クルシフォーミティとは、キリストのうちに生き、彼と共に死ぬという継続的なパターンであり、それがキリストに似た者(十字架の形をした人)を生み出すのである。)
Michael J. Gorman, Cruciformity: Paul’s Narrative Spirituality of the Cross, 20th Anniversary Edition (Grand Rapids, MI: William B. Eerdmans Publishing Company, 2021), 48–49.
「キリストの外側で、その手本に似せていく」のではなく、「キリストの内側にあって、その物語に巻き込まれていく」。これがクルシフォーミティです。前回のシリーズで扱った「参与論」が、ここで具体的な形を取って現れていることが分かります。
ゴーマンが自身の霊性論を「物語的霊性(narrative spirituality)」と呼ぶのは、まさにこの理由からです。信仰者は、ピリピ書2章のキリストの物語の中に自分自身が組み入れられていることを発見し、その物語を「生きた釈義(living exegesis)」として日々演じ直していくのです。
クルシフォーミティの4つのパターン
ゴーマンは『Cruciformity』のなかで、パウロ書簡から十字架を語る13の物語パターンを抽出した上で、それらを統合する4つの基本的なパターンを提示します。
Following this procedure, from the thirteen patterns of narrating the cross discussed in this chapter, we may identify four fundamental patterns of cruciformity in Paul’s letters.
Michael J. Gorman, Cruciformity: Paul’s Narrative Spirituality of the Cross, 20th Anniversary Edition (Grand Rapids, MI: William B. Eerdmans Publishing Company, 2021), 93.
1. The first, taken from the first cross-narrative pattern (#1), is cruciformity as faithful obedience, or cruciform faith.
2. The second, synthesizing the next several patterns (#2–8), is cruciformity as voluntary self-emptying and self-giving regard for others, or cruciform love.
3. The third, corresponding to patterns #9–12, is cruciformity as—paradoxically—life-giving suffering and transformative potency in weakness, or cruciform power.
4. The fourth, found in the last narrative pattern (#13), the pattern of reversal, is cruciformity as requisite prelude to resurrection and exaltation, or cruciform hope.
この手続きに従って、本章で論じた十字架を語る十三のパターンから、パウロの手紙におけるクルシフォーミティの四つの基本的なパターンを見出すことができる。
1. 第一のものは、十字架物語の最初のパターン(#1)から取られたもので、忠実な従順としてのクルシフォーミティ、すなわち十字架の形をした信仰である。
2. 第二のものは、続くいくつかのパターン(#2–8)を総合したもので、自発的に自らを空しくし、自らを与えて他者を顧みることとしてのクルシフォーミティ、すなわち十字架の形をした愛である。
3. 第三のものは、パターン#9–12に対応するもので、逆説的にも命を与える苦難と弱さのうちの変革する力としてのクルシフォーミティ、すなわち十字架の形をした力である。
4. 第四のものは、最後の物語パターン(#13)、すなわち逆転のパターンに見いだされるもので、復活と高挙への必須の序曲としてのクルシフォーミティ、すなわち十字架の形をした希望である。ゴーマンが13の細かなパターンを4つの大きな主題に統合した結果、現れたのが「信仰・愛・力・希望」という4つの要素です。これは、コリント人への第一の手紙13章13節の「信仰と希望と愛」を思い起こさせます。しかしゴーマンは、そこに「力(power)」を加えました。なぜなら、パウロにおいては「弱さこそが力である」という逆説が、十字架の物語の核心をなしているからです(第二コリント12:9)。
これら4つすべてが、十字架の形に貫かれている、というのがゴーマンの基本的な主張です。信仰者は、十字架の形をした信仰、十字架の形をした愛、十字架の形をした力、そして十字架の形をした希望に生きるのです。
十字架だけで終わらない、復活と高挙への参与
クルシフォーミティに対する批判として、しばしば指摘されてきたのが「復活を軽んじているのではないか」という疑問です。十字架の形ばかりを強調すると、復活の栄光が後景に退いてしまうのではないか、というわけです。
神学では伝統的に、キリストのこの二つの状態を「卑賤(ひせん)」と「高挙」と呼んできました。自らを低くして十字架に至ったキリストの状態が「卑賤」、神によって高く挙げられた状態が「高挙」です。クルシフォーミティは、このうち卑賤の側面だけを取り出したものではありません。
キャンベルは、復活を軽視しているという批判に対してゴーマンを擁護しています。パウロの物語的霊性が拠って立つピリピ書2章は6-8節の「キリストが自らを低くする」物語だけで終わるのではありません。9-11節の「キリストの高挙」へと続きます。すなわち、自らを低くしたキリストは、神によって高く挙げられ、すべての名にまさる名を与えられた。この高挙の物語まで含めて、はじめてマスター・ストーリーは完結するのです。
According to Paul’s narrative spirituality, which rests on Philippians 2:6–11, humiliation and death lead to resurrection and exaltation. Such was the case for Christ, and such is the case for the believer who is conformed to the death of Christ. In other words, cruciformity entails conformity with the resurrection and exaltation of Christ as well as conformity to his death.
Campbell, Constantine R.. Paul and Union with Christ: An Exegetical and Theological Study (English Edition) (p. 468). Kindle Edition.
ピリピ書2章6–11節を土台とするパウロの物語的霊性によれば、低くされることと死は、復活と高挙へと至る。これがキリストの場合であり、キリストの死に同形となる信仰者の場合もまた然りである。言いかえれば、クルシフォーミティは、キリストの死への同形化と共に、キリストの復活と高挙への同形化をも含意するのである。つまりクルシフォーミティとは、十字架の苦難に閉じ込められた霊性ではありません。それは、キリストの低くされた歩みから復活と高挙に至るまで、その物語の全体に参与していく生き方なのです。信仰者は、キリストと共に低くされ、そしてキリストと共に高く挙げられます。
ぼくどくメモ
「クルシフォーミティ」という言葉を初めて聞いた時、「こんな造語が浸透するのか」、と思ったことを覚えています。ですがゴーマンの本を読み進めるうちに、この一語が、自分の信仰理解の言語化されていなかった部分に絶妙にマッチすることがわかってきました。
牧師として、私はしばしば「キリストにならって生きる」という言い回しを使ってきました。けれどもこの言葉は、ともすると、信仰者を外側にいる「模倣者」の位置に置いてしまいます。クルシフォーミティという言葉は、私たちがキリストの外でその手本を真似ているのではなく、キリストの内側にあって、その十字架の物語が私たちのうちに少しずつ刻み込まれていく、そのような意味語ろうとしています。
それは当然のことながら自分の頑張りで実現することではありません。立木氏の訳者あとがきが言うとおり、まず「聖霊によって十字架の姿が形づくられていく神の働きかけ」があり、私たちの側はそれに「応答していく」のです。受け身であり、同時に能動的でもある。この緊張の中にこそ、信仰生活のリアリティがあるのではないか、と思わされます。
そして、ピリピ書2章のあの讃歌が、自分の生の真ん中で響いてくるとき、信仰生活の見え方が少し変わります。私たちの人生にも、十字架の形をした信仰があり、愛があり、力があり、希望がある。そして、低くされた場所が終わりではなく、そこを通ってキリストと共に高く挙げられる希望に、私たちは生きているのです。
Michael J. Gorman, Cruciformity: Paul’s Narrative Spirituality of the Cross, 20th Anniversary Edition (Grand Rapids, MI: William B. Eerdmans, 2021).
Campbell, Constantine R.. Paul and Union with Christ: An Exegetical and Theological Study (English Edition).
