仮庵の祭りにおけるイエスとユダヤ人たちとの論争は、平行線をたどります。イエスはご自身のアイデンティティ(神の御子であること)を証ししますが、ユダヤ人たちにはそれが理解できません。『ヨハネの福音書』がここで描いているのは、単なる知識の不足ではなく、神と人間との間にある「決定的な断絶」です。
1. 「自殺」と「帰還」のすれ違い
さて、また彼らに言われた、「わたしは去って行く。あなたがたはわたしを捜し求めるであろう。そして自分の罪のうちに死ぬであろう。わたしの行く所には、あなたがたは来ることができない」。
ヨハネの福音書8章21節(口語訳聖書)
このイエスの言葉に対し、ユダヤ人たちは「自殺でもしようとするつもりか」と反応します。 当時のユダヤ教の慣習では、自ら命を絶つ者は神から断絶された闇の世界へ行くとされていました。彼らは自分たちこそが正しい神の民であり、天の神のもとへ行けると確信していたため、「自分たちが行けず、彼が行く場所」といえば、地獄のような場所しかないと考えたのです。それゆえに、彼らの言葉は強烈な皮肉であったと言えます。
しかし、この皮肉は二つの真実を暗示していることを『ヨハネの福音書』は示しています。第一に、イエスが後に自発的に命を捨てることになるという事実。第二に、イエスが向かう「父の懐」という領域には、彼らが固執する「自分たちの正しさ」では決して到達できないという事実です。
2. 「二次元」と「三次元」の断絶
なぜ彼らはイエスを理解できないのでしょうか。イエスはその原因を「上」と「下」の違いとして指摘します。
イエスは彼らに言われた、「あなたがたは下から出た者だが、わたしは上からきた者である。あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者ではない。
ヨハネによる福音書8章23節(口語訳聖書)
ある神学者はこれを、二次元(平面)と三次元(立体)の関係で説明しようと試みます。平面の住人が高さを理解できないように、「下(地)」の価値観に縛られた人間には、「上(天)」の真理が見えません。
当時の人々にとっての「救い主」とは、ローマ帝国の支配を打ち破り、地上の政治的な栄光を取り戻してくれる「強い王」でした。彼らの物差しは、血筋、政治力、そして現世的な勝利です。 そのような「下からの物差し」で見れば、ガリラヤの貧しい大工の息子が「神の子」であるはずがない。彼らの目は節穴だったのではなく、「地上の常識」というあまりにも強固なフィルターによって、目の前の真理が見えなくなっていたのです。
3. 「上げられる」というパラドックス
この断絶の中で、イエスはご自身が「わたしはある」であることが証明される「時」について、謎めいた予告をします。
そこでイエスは言われた、「あなたがたが人の子を上げてしまった後はじめて、わたしがそういう者(わたしはある)であること、また、わたしは自分からは何もせず、ただ父が教えて下さったままを話していたことが、わかってくるであろう。 」
ヨハネによる福音書8章28節(口語訳聖書)
ここで「上げる」と言われていることは、十字架につけられることを指しています。かつてエジプトの王ファラオは、十の災いという圧倒的な「力」を見せつけられることで、神が主であることを認めざるを得ませんでした。しかし、イエスがご自身を神として現す方法は、力による制圧ではなく、最も無力で恥ずべき「十字架の死」でした。
「下」の価値観では、十字架は敗北と呪いの象徴です。しかし、「上」の価値観では、それこそが神の愛と義が完全に成就する栄光の時なのです。
4. 天と地を繋ぐ「父に喜ばれる歩み」
ではなぜ、十字架が神であることの証しとなるのでしょうか。それは、イエスの生涯が徹底して「父なる神に喜ばれる歩み」であったからです。
わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒におられる。わたしは、いつも神のみこころにかなうことをしているから、わたしをひとり置きざりになさることはない」。
ヨハネによる福音書8章28節(口語訳聖書)
イエスは「上から来た方」ですが、地上において独断で振る舞うことはせず、徹底して父への従順を貫かれました。自分の意志ではなく、父の御心を行うこと。十字架はその従順の極致です。 天と地の間には、人間には越えがたい断絶があります。しかし、イエスは「父に喜ばれること」を常に行うという生き方を通して、この断絶をご自身の身をもって繋ぎ合わせたのです。
私たちが神を知り、神のもとへ行く道もまた、ここにあります。それは、知識を蓄えることや、宗教的な業績を積んで「上」へ登ろうとすることではありません。 イエスが示されたように、私たちもまた、自分の力や「下」の基準に頼ることをやめ、父なる神に信頼し、その御心に従う歩みへと招かれています。十字架に至るまで父に喜ばれる道を歩まれたイエスに倣うとき、私たちもまた、この世にあって「上」のいのちに生きる者とされるのです。
