『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
マタイによる福音書5章43-45節(口語訳聖書)
敵を愛する。これはおそらく、主イエスが教えた最も実行しがたい言葉のひとつではないでしょうか。マタイによる福音書5章で、イエスは旧約の掟を引き合いに出しながら、弟子たちに全く新しい行動原理を求めています。44節の「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」という命令は、単なる道徳的勧告ではなく、神の国における根本的な価値観の転換を示唆しています。
ギリシア語の αγαπάω(アガパオー)は「愛する」と訳されますが、これは湧き上がる感情的な好意ではなく、意志的な関係性の革新を意味します。敵を愛することは、私たちの感情や個人的な利益を超えて、神の性質そのものに参与することを求めているのです。
その根拠は、続く45節に示されています。「こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである」。この一文に、敵を愛すべき理由が集約されています。イエスは敵を愛する根拠を、人間の倫理観ではなく、神ご自身の性質に求めているのです。45節は「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである」と続きます。
神は普遍的な恵みを注ぎ続ける方であり、その恵みは私たちが「敵」と呼ぶ相手にも及んでいるという事実を、イエスは突きつけています。つまり、敵を愛することとは、神の行動そのものを模倣することであり、神の御支配に対する信頼の表現に他なりません。敵への報復を企てたり、ただ距離を置いたりするのではなく、その相手の上にも神の賜物(太陽と雨)が注がれていることを認識する。そこから初めて、敵への祈りと愛が生まれてくるのです。
とはいえ、これが決して容易ではないことは明らかです。現実の世界ではむしろ、敵意が増幅し、報復の連鎖が絶え間なく続いています。だからこそイエスは私たちを、この神の行動原理に参与するよう招いておられるのです。私たちが敵を愛し、迫害する者のために祈る時、私たちは「神がどのような方であるか」を、自らの行動と祈りを通じて世に証ししていることになります。それはこの世の報復の論理に対する最大の抵抗であり、同時に神の統治への信頼の告白です。
今日、あなたがどうしても心に抵抗感を覚える人のために、少しでも祈ることができたら幸いです。その祈りは、自分自身がこれまでどれほど無条件の神の恵みを受け取ってきたかを、深く思い起こす機会になるはずです。
