そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。

使徒行伝9章5節(口語訳聖書9

サウロがダマスコに向かう途上で起きた出来事は、初代教会の歴史において、極めて劇的な転機でした。

「突然、天から光がさして、彼をめぐり照らした」(3節)。ここで使われているギリシア語は、稲妻のように激しく周囲全体を覆い尽くす光を意味します。それは逃げようのない、全存在を包み込む光でした。

視力を失ったサウロが「主よ、あなたはどなたですか」と問いかけたとき、彼の確信は一瞬にして崩れ去りました。それまで彼は、イエスを信じる者たちを捕らえることこそ、神に仕える正義だと信じて疑いませんでした。ところが、復活のキリストは「わたしはあなたが迫害しているイエスである」と告げられたのです。

自分が「正義」だと思って熱心に行っていたことが、神の目には執拗な「迫害」であった——その恐るべき真実が明かされた瞬間でした。

詩篇に「あなたのみことばはわが足のともしび、わが道の光です」(119:105)とあるように、ダマスコの光は、サウロの心の内側を照らし出しました。彼は神に対して熱心でしたが、一番肝心な「キリスト」が見えていなかったのです。この光は、ただまぶしかっただけでなく、彼の思い込みを根本から覆すものでした。 やがて彼は、生まれ持っていたもう一つの名であるローマ名「パウロ」を名乗り、異邦人へ福音を伝える新しい道を歩み始めます。

私たちの人生において、信仰の転換点はどのような形をしているでしょうか。劇的な光の体験かもしれませんし、静かに御言葉が心に浸透していくような体験かもしれません。

ここで私たちが問われているのは、「自分の正義感や思い込みによって、無意識のうちに神の御心を退けたり、誰かを排除したりしていないか」ということです。サウロのように、自分の確信を神の前に差し出し、問い直す勇気が時に必要です。

ダマスコの光はサウロの目を一時的に見えなくしましたが、それは「本当の真理」を見るための神様からの招きでした。復活のキリストは今も、「わたしはここにいる」と静かに語りかけておられます。その声に耳を傾けるとき、今日、あなたの歩みはどこへ向かうでしょうか。