オーストラリア行きのドアが開きかけたとは言え、具体的な準備については全くの未知数だった。そんな中、現地の教会と繋いでくれた宣教師が「海外神学生への助成プログラムがある。応募してみたらどうか」と教えてくれた。
眩しすぎた不合格通知
前例のないケースではあったが、私は半信半疑でプロフィールを書き、特技や思いを綴った資料を作成した。結果は——もちろん、落選。
しかし、その資料のために撮った自分の写真を見ると、今でも少し照れくさくなる。そこには、根拠のない期待に満ちた、眩しいほどの笑顔でピースする自分がいたからだ。「資金を貯めなければ」という現実的な重圧よりも、道が開けたことへの喜びが勝っていた。その笑顔こそが、当時の私の全財産だったのかもしれない。
「正論」のあとの、世知辛い現実
手続きを進める段階になると、次々と世知辛い現実が押し寄せてきた。
まず、休学の費用だ。「1年休むくらい簡単だ」とたかを括っていたが、事務局へ行くと、休学中も年間の学費の1割を納める必要があるという。正直なところ、「休むことにもお金がかかるのか」と驚いた。だが、籍を残しておいてもらえることに感謝すべきなのは、私の方だったのだろう。それでも、学生の身にはあまりに痛い出費だった。
また、淡い希望を抱いて「現地のインターン経験を英語の単位に」と掛け合ってみたが、あっけなく却下された。それはそうだ。単位が欲しければ、学校の公式な制度を使って留学すればいいのだ。
全ては自分の都合。何を言っても仕方がない。ただ、自分の選んだ道が「非公式(パーソナル)」であることの孤独さを、改めて突きつけられた瞬間だった。
ワーキングホリデーという「救済」
最も高い壁は「ビザ」だった。ここで役立ったのは、かつて社会科の授業で耳にした「ワーキングホリデー」という言葉だ。これなら自由に活動できる。これしかないと思った。
当時は「預金残高が重要」という噂もあり、学費で使い果たした懐事情に肝を冷やしたが、審査は拍子抜けするほどあっさり通った。オーストラリアという国が、どこか私を呼んでくれているような、不思議な開放感を感じた。
11ヶ月の保険と、恵みのセンサー
ここで、多くの読者は疑問に思うだろう。「お金はどうしたのか」と。 正直に言えば、現地での生活費など全く考えていなかった。片道切符で飛び込み、現地で働けばいい。若さとは、時に「無知」という名の最強の武器である。
結局、渡航準備だけで手持ちの資金はほぼ底をついた。最後に頭を悩ませたのは海外保険だ。迷った末、私は「11ヶ月分」だけの保険に加入した。
「11ヶ月健康なら、残りの1ヶ月もきっと健康だろう」
そんな根拠のない節約と目論見。今振り返れば冷や汗が出るような選択だが、結果的にその一年間、私は一度も保険を使うことはなかった。
11ヶ月分の保険と、根拠のない自信。片道切符を握りしめた私の足取りは、あまりにも危ういものだった。 けれど、一度反応した「恵みのセンサー」は、そんな無鉄砲な若者を見放すことはなかった。 準備不足で飛び込んだからこそ、私は知ることになる。あの一年は、自分の計画など及ばない、神様の「粋な計らい」に満ちていたのだと。
