パウロ書簡を読んでいると、「キリストにあって(in Christ)」という表現が繰り返し使われていることに気が付きます。これは単なる言い回しではなく、救いの全体を貫く一つの現実、つまり、信じる者がキリストの死と復活に結び合わされ、その内に生きるという「参与(participation)」の現実を指し示す重要な神学的な用語です。
このページでは、アメリカの新約聖書学者マイケル・ゴーマンの解釈を手がかりに、パウロの参与の神学を入門から順にたどる記事をまとめています。十字架の形に生きる「クルシフォーミティ」、義と認められることの新しい理解、「キリストに似た者となる」テオーシス(神化)など、日本語圏ではまだ十分に紹介されていない主題を、できるだけ平易に扱っています。
はじめての方は、まず導入記事からお読みいただくと全体像がつかみやすいかと思います。
はじめに読む
- 参与論とは何か――「キリストにあって」とは何を意味するのか
ゴーマンと参与の神学(全6回)
- 第1回 マイケル・ゴーマンとは誰か
- 第2回 クルシフォーミティとは何か
- 第3回 参与としての義認――新しい義認理解
- 第4回 テオーシス(神化)とパウロ
- 第5回 「福音そのものになる」とは何か
- 第6回 ゴーマンが日本のプロテスタント教会に問いかけるもの
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