主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。
主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。
主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。

詩篇19篇7-9節(口語訳聖書)

詩篇19篇7-9節は、神のことばの性質と力を詩人が列挙する、旧約聖書の中でも最も美しい証言のひとつです。

「主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ」という冒頭の言葉から、詩人の揺るぎない確信が響き渡ります。ここで「おきて」と訳されているヘブル語は「 תּוֹרָה(トーラー)」で、神の教えや指示の全体を指します。また「生きかえらせ」という言葉は、元の言語では、死にかけた命(ネフェシュ=魂)を「回復させる」という意味と同時に、迷い出た羊を「連れ戻す」という意味も併せ持っています。

7節から9節にかけて、詩人は神のことばを6つの異なる表現(おきて、あかし、さとし、戒め、主を恐れる道、さばき)で言い換えながら、それが私たちの内面にもたらす劇的な効果を歌い上げます。

ここで特筆すべきは、神のことばが「完全(ヘブル語でタミーム)」であるという点です。これは旧約聖書において「傷一つない、全きいけにえ」を指す時にも使われる言葉です。つまり、神のことばには一切の欠陥やごまかしがなく、私たちが全面的に命を預けても絶対に崩れない、という力強い宣言なのです。だからこそ、それは私たちの傷ついた魂を癒やし、目をひらき、心を本当に喜ばせることができるのです。

このメッセージを私たちの信仰生活に当てはめるとき、重要なのは「聴く」という能動的な姿勢です。詩人は「魂を生きかえらせ」と、神のことばを主語にして語っています。しかし、その回復の力は、私たちがへりくだり、祈りをもってそのことばに向き合うときに初めて、私たちの内側で働き始めます。

イエス・キリストご自身が「わたしが天からくだって来たパン」(ヨハネ6:51)と言われたように、神のことばは単なる冷たい文字や規則ではありません。それは、生きた人格、すなわちキリストご自身の現れです。

あなたは今朝、心が疲れていないでしょうか。人間関係の傷や、先の見えない不安に覆われて、魂が消耗していないでしょうか。 詩篇の著者に倣って、今日、一度立ち止まり、静寂の中で聖書を開いてみてください。その「傷のない完全なことば」の奥から、あなたの魂を甦らせるキリストの優しい声が、必ず聞こえてくるはずです。