はじめに——福音書に著者名はない
「マルコによる福音書」という題名を見ると、私たちはつい「マルコという人が書いた福音書」と読んでしまいます。しかし、この題名は著者自身がつけたものではありません。学者たちによる現存する最古の写本の調べでは、「〇〇によると(According to ~)」という形の題名は、福音書が書かれてからしばらく後に付け加えられたものだと言われています。また、福音書の本文そのものには、著者が誰であるかを直接示す記述もありません。
では、「マルコ」や「マタイ」「ルカ」という名前はどこから来たのでしょうか。それを考えるためにまず、「共観福音書」とは何かを理解しておく必要があります。
「共観福音書」とは何か
新約聖書には四つの福音書が収められています。それは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネです。このうち最初の三つ——マタイ、マルコ、ルカ——は、内容や構成が互いに非常によく似ています。同じエピソードが同じ順序で登場し、時には一言一句ほぼ同じ文章が現れることもあります。
この三つをまとめて「共観福音書(Synoptic Gospels)」と呼びます。「共観」とは「ともに見る」という意味で、三つを並べて読むと同じ出来事を「共通の視点」から眺めているように見えることから、この名前がつきました。一方、ヨハネ福音書は構成も神学的な強調点も大きく異なっており、別に扱われることが多いです。
三つの福音書はなぜ似ているのか——共観福音書問題への入口
三つの福音書がこれほど似ているのはなぜでしょうか。これは「共観福音書問題(Synoptic Problem)」と呼ばれ、聖書学者たちが長年議論してきたテーマです。
現在、多くの学者が支持しているのは「二資料仮説(Two-Source Hypothesis)」です。この説によれば、マタイとルカはそれぞれ独立に書かれたのではなく、二つの共通した資料を使いました。一つはマルコ福音書、もう一つは「Q資料」と呼ばれる現在は失われた(文書です。つまり、マルコが三つの中で最も早く書かれ、マタイとルカはそれを参照しながら自分たちの福音書を書いた、というのがこの説の骨格です。
ただし、この説に異論がないわけではありません。保守的な学者の中には、マタイが最初に書かれたとする「マタイ優先説」を支持する立場もあります。共観福音書問題は、今も活発に議論が続いているテーマです。
この問題については、改めて独立した記事で詳しく扱う予定です。今回はまず、マルコ福音書の著者と成立年代の問題に絞って考えてみましょう。
マルコ福音書の著者——伝統的見解
初期の教会はマルコ福音書を「使徒ペテロの通訳者マルコが書いた」と伝えてきました。この伝承の最も古い証言は、2世紀初頭の教父パピアス(Papias of Hierapolis)のものです。彼の言葉は、4世紀の歴史家エウセビオス(Eusebius)の著作『教会史(Historia Ecclesiastica)』の中に引用されています。パピアスによれば、マルコはペテロの語ったことを正確に書き記したが、必ずしも時系列には従わなかった、とのことです。
この「マルコ」が新約聖書の他の箇所に登場する「ヨハネ・マルコ」(使徒行伝12章など)と同一人物であるというのが伝統的な立場です。実際に新約聖書(第一ペテロ5:13)にも「私の子マルコ」という表現が登場します。もっとも、この手紙自体の真筆性にも議論がありますが、少なくともそれが書かれた段階で、初期教会の間に「ペテロとマルコには師弟のような深い結びつきがあった」という伝承が広く定着していたことがうかがえます。保守的な聖書学者たちは、こうしたパピアスの証言や初期の伝承を重視し、ペテロと関係の深いマルコが著者であるという見解を支持します。
マルコ福音書の著者——批判的学者の見解
一方、批判的な聖書学者たちは、パピアスの証言を額面通りには受け取りません。パピアスが書いたのはマルコ福音書が書かれてから数十年後のことであり、その情報がどこまで信頼できるかは確認できない、というのがその主な理由です。また、マルコ福音書の本文自体には著者を特定できる手がかりがほとんどないとも指摘されます。
批判的な立場の学者たちの多くは、四福音書はいずれも「匿名の文書」であり、後の時代に教会の権威を高めるために使徒たちや使徒の弟子たちの名前が付けられた、と考えます。バート・アーマン(Bart D. Ehrman)はこの立場を代表する学者の一人で、著書の中でこの問題を論じています。
近年の研究——目撃者証言としてのマルコ福音書
伝統的見解と批判的見解の対立が続く中、近年注目を集めている研究があります。イギリスの新約聖書学者リチャード・ボウカム(Richard Bauckham)は、2006年の著書 “Jesus and the Eyewitnesses The Gospels as Eyewitness Testimony” の中で、福音書は単なる「匿名の共同体の産物」ではなく、具体的な目撃者の証言に基づいて書かれたものだという説を詳細に論じました。こちらは、邦訳も出ています。リチャード・ボウカム、浅野淳博訳『イエスとその目撃者たち 目撃者証言としての福音書』(新教出版社、2011年)
マルコ福音書については特に、「目撃者証言の包括(inclusio of eyewitness testimony)」という概念が提唱されています。福音書の冒頭で最初の弟子としてシモン・ペテロが呼ばれ(1章16節)、結末部でも「弟子たちとペテロに言いなさい」と特別にペテロの名が言及される(16章7節)という構造は、ペテロがこの福音書の主要な証言者であることを示す文学的なサインではないか、というのがボウカムの主張です。
この研究はパピアスの古い証言を単純に繰り返すのではなく、本文の構造分析から「ペテロ証言説」を再評価しようとした点で、学術的な新しさを持っています。批判的学者からは異論も出ていますが、ボウカムの研究は「福音書は匿名文書である」という見方に対する有力な反論として、現在も活発に議論されています。
マルコ福音書の成立年代
著者の問題と切り離せないのが、成立年代の問題です。 伝統的な見解では、マルコ福音書はペテロの死後まもなく、60年代後半に書かれたと考えます。ペテロはネロ皇帝の迫害(64〜68年頃)で殉教したとされており、その直後にマルコがペテロの教えをまとめた、という筋書きです。この時代、ローマの教会は激しい迫害下にあり、マルコ福音書全体に流れる「苦難」のテーマともよく符合します。
一方、批判的な学者の多くは、マルコ福音書が70年前後に書かれたと考えます。その最大の根拠が、マルコ13章に記されたエルサレム神殿の崩壊についての「予言」です。紀元66年に始まったユダヤ戦争の結果、70年にローマ軍がエルサレムを攻略し、神殿を完全に破壊しました。 批判的学者たちは、マルコ13章の描写があまりにも具体的であることから、これは「予言」ではなく、この悲劇的な出来事をすでに経験した(あるいは直面している)状況で書かれたものではないか、と推測します。
これに対して保守的な学者たちは、イエスが実際にこの崩壊をあらかじめ預言されたのであり、テキストの具体性は預言の正確さを示すものだ、と反論します。どちらの年代を支持するかは、「イエスが未来の出来事を詳細に預言し得たか」という、奇跡や預言についての神学的前提とも深く関わっています。
学者の議論をどう受け止めるか
著者が「マルコ」であるかどうか、成立が60年代か70年代かという問題は、聖書学者の間でも結論が出ていません。伝統的見解には古い証言という強みがあり、批判的見解には本文の詳細な分析という強みがあり、そしてボウカムのような研究は両者の間に新たな対話の可能性を開いています。
こうした議論に触れるとき、大切なのは「どの立場が正しいかを即座に決めること」ではないかもしれません。むしろ、異なる立場の学者たちがそれぞれ真剣に聖書と向き合っている姿から学びながら、自分自身も問いを持ち続けることが、聖書をより深く読むことへとつながっていくのではないでしょうか。
さらに学びたい方へ
D.A.カーソン、ダグラス・ムー『新約聖書の基本 各書の内容・著者・執筆場所・年代・読者・目的・貢献』は、今回扱ったテーマについて保守的立場から丁寧に解説しており、入門書として広く使われています。
リチャード・ボウカム『イエスとその目撃者たち 目撃者証言としての福音書』は、本記事で紹介した「目撃者証言」論を詳しく展開した一冊です。
