イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。
申命記6章4-5節(口語訳聖書)
モーセがイスラエルの民に語ったこのことばは、「シェマ(聞きなさい)」と呼ばれ、ユダヤ教で最も神聖な祈りとされてきました。これは単なる教えではなく、彼らの信仰の土台そのものです。
「唯一の主」という言葉は、神様がただ一人であると同時に、決して揺らぐことのない、完全に信頼できるお方であることを示しています。だからこそモーセは、頭での理解だけでなく、「心(感情や意志)を尽くし、精神(命そのもの)を尽くし、力(自分の持つすべてのエネルギー)を尽くして」神を愛するようにと求めているのです。 私たちも、「自分のすべてをもって、本当に神様を愛せているだろうか」と、立ち止まって考えさせられることはないでしょうか。
興味深いことに、モーセはこの愛の宣言の直後、それをどう実践するかを具体的に語っています。「これらの言葉を心に留め」、家にいる時も、道を歩く時も、寝る時も起きる時も、子どもたちに語り伝えなさいと命じるのです(6-7節)。神への愛は、特別な時の儀式ではなく、日常のあらゆる場面で繰り返される「習慣」を通してこそ、確かなものになるという洞察です。
現代の私たちが、聖句を書いた箱を文字通り額や腕に巻きつけることはありませんが、その原則——「信仰を生活の隅々に織り込むこと」——は今も変わりません。朝目覚めたとき、仕事の合間、家族との会話の中で、あなたは神様への愛をどのような形で思い起こしているでしょうか。
最後に、この命令は個人的な信仰にとどまりません。イエスご自身もこの箇所を「第一の戒め」として引用された後、「第二もこれと同様である。すなわち『あなたの隣人を自分のように愛しなさい』というのである」(マタイ22:39)と付け加えられました。 神への全人的な愛は、隣人への愛と決して切り離すことができないのです。
十字架で完全な愛を示されたキリストを見上げるとき、私たちの信仰も、頭や心の中だけでなく、手と足を使った「具体的な行動」へと招かれています。今日、あなたが心を尽くし、力を尽くして愛すべき具体的な相手や課題が、目の前に見えていないでしょうか。
