イエスは新しい教えを発明したのか—レビ記19章と山上の説教—
初代教会の分かち合いは共産主義だったのか
思い通りにならない世界で——カボチャの病気と夏の虫たち
やもめ、みなしご、寄留者とは誰のことか。「弱者」ではなく「守る人のいない者」
テオーシス(神化)とは何か――プロテスタントと神化の伝統(前編)
共十字架による義認(JCC)とは何か――M.J.ゴーマンによるパウロの救済論
詩篇46:10「静まって」——「手を放させる」という意味
ネヘミヤ8:10「主を喜ぶことは力」——その「力」とは「砦」
エペソ4:13「一人の成熟した大人」——なぜ「一人」なのか
ヨハネ7:30「イエスの時」とは何か——ヨハネ福音書の「時」を読む
列王記上18:26「踊った」のか「もたついた」のか——原語が示すもう一つの読み
ルカ10章『善きサマリア人』——祭司とレビ人はなぜ通り過ぎたのか
詩篇81:15「刑罰」か「災い」か——訳の違いと神の視点
ローマ6:11「認める」と「考える」——罪に死んだ事実をどう生きるか
資本主義の生きづらさからの解放〜畑から始まる小さな実践〜
マイケル・ゴーマンの神学:キリストの形に形作られる歩みへの招き
詩篇93篇における二つの「声」
三位一体とは何か――教会はなぜ「一つの神、三つの位格」と告白するのか
ブログ
結婚式と葬儀〜礼拝としての共通性〜
聖書とは何か――どのようにして「神の言葉」が生まれたのか
「地獄」はどこにあるのか?
イエス・キリストとは誰か
奏でる人になる――「参与」という信仰のかたち
ゴーマンが日本のプロテスタント教会に問いかけるもの|ゴーマンと参与の神学#6
離れることで実るもの
「福音そのものになる」とは何か:ゴーマンが読むパウロの宣教|ゴーマンと参与の神学#5
私たちが神を推すのか、神が私たちを推すのか──朝井リョウ著『イン・ザ・メガチャーチ』を読む
傍らに寄り添う神:「慰め」と「励まし」
Chapter 7:丘の上の夜景と見えない「祈り」|自動ドアの向こう側
テオーシス(神化)とパウロ:「キリストに似た者となる」とは何か|ゴーマンと参与の神学#4